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	<title>つきかげの消息記</title>
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	<description>日々の偏ったニュースに思うこと</description>
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		<title>謹賀新年</title>
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		<pubDate>Sat, 31 Dec 2011 15:03:04 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Ｓａ－Ｑ</dc:creator>
				<category><![CDATA[全記事]]></category>

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		<description><![CDATA[旧年中は大変お世話になりました。 本年もどうぞよろしくお願いいたします……ッてまともな記事書けよ＞ジブン（笑）。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>旧年中は大変お世話になりました。</p>
<p>本年もどうぞよろしくお願いいたします……ッてまともな記事書けよ＞ジブン（笑）。</p>
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		<title>え～っと</title>
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		<pubDate>Fri, 25 Nov 2011 11:43:54 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Ｓａ－Ｑ</dc:creator>
				<category><![CDATA[その他]]></category>

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		<description><![CDATA[あれだけ騒いでた六甲山全山縦走ですが。天候が思わしくなかった事もありますが、目標の六甲山頂までも到達できず、菊水山を降りて市が原に出たところでリタイヤしました 。 行程で言うと、六甲山頂までが約二分の一の行程。に対してリ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p> <img src='http://www.lunarflake.com/xoops/modules/XPressME/wp-includes/images/smilies/icon_lol.gif' alt=':lol:' class='wp-smiley' />  あれだけ騒いでた六甲山全山縦走ですが。天候が思わしくなかった事もありますが、目標の六甲山頂までも到達できず、菊水山を降りて市が原に出たところでリタイヤしました <img src='http://www.lunarflake.com/xoops/modules/XPressME/wp-includes/images/smilies/icon_lol.gif' alt=':lol:' class='wp-smiley' />  。</p>
<p>行程で言うと、六甲山頂までが約二分の一の行程。に対してリタイヤしたのは三分の一の行程（笑）。</p>
<p>来年は参加できるか分かりませんが、まぁ、二十年ぶりくらいにヘッドランプ付けて山に立ち向かう経験も出来たし、これからも暇が有れば須磨アルプスに遊びに行くくらいは続けられそうだし、良しとしときます(^_^;)。</p>
<p>そして『アナーキズムＦＡＱ読解』の方は、チョッと読み込まないといけない本が見つかったので、再開まで間が空くかも知れません。誰も期待してないかも知れませんが <img src='http://www.lunarflake.com/xoops/modules/XPressME/wp-includes/images/smilies/icon_razz.gif' alt=':-P' class='wp-smiley' />  。</p>
<p>と言う訳で、またまた一月以上たってからの更新でした（笑）。</p>
]]></content:encoded>
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		<title>六甲全山縦走</title>
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		<pubDate>Sat, 08 Oct 2011 11:29:34 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Ｓａ－Ｑ</dc:creator>
				<category><![CDATA[その他]]></category>
		<category><![CDATA[全記事]]></category>

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		<description><![CDATA[え～気が付けば一月近く放置状態ですが 。 ここのところ、週末は11月23日に参加予定の六甲山全山縦走の練習で、疲れ果てた毎日です。 『アナキズムFAQ』読解の方は、「A.3 アナキズムにはどの様な種類があるのか？」の内容 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>え～気が付けば一月近く放置状態ですが <img src='http://www.lunarflake.com/xoops/modules/XPressME/wp-includes/images/smilies/icon_razz.gif' alt=':-P' class='wp-smiley' />  。</p>
<p>ここのところ、週末は11月23日に参加予定の六甲山全山縦走の練習で、疲れ果てた毎日です。</p>
<p>『アナキズムFAQ』読解の方は、「A.3 アナキズムにはどの様な種類があるのか？」の内容が中々面白そうなので、手をつけていきたいところですが、上記のような理由で、しばらくお休みとしたいと思います。ご了承下さいまし。</p>
]]></content:encoded>
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		<title>『アナキズムFAQ』読解 第７回「A.2 アナキズムは何を主張してのいるか？（5/5）」</title>
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		<pubDate>Mon, 19 Sep 2011 10:59:48 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Ｓａ－Ｑ</dc:creator>
				<category><![CDATA[その他]]></category>
		<category><![CDATA[全記事]]></category>

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		<description><![CDATA[え～一週間サボった上に、連休終日に書いてます 。 いやね、実はポメラを買ったんですよ。殆ど衝動買いで（笑）。 で、「ポメラで Blog 書くぞ～」と思って設定を調整したり、引用する『アナキズムＦＡＱ』のテキストを流し込ん [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>え～一週間サボった上に、連休終日に書いてます <img src='http://www.lunarflake.com/xoops/modules/XPressME/wp-includes/images/smilies/icon_biggrin.gif' alt=':-D' class='wp-smiley' />  。</p>
<p>いやね、実は<a title="ポメラ" href="http://www.kingjim.co.jp/pomera/" target="_blank">ポメラ</a>を買ったんですよ。殆ど衝動買いで（笑）。</p>
<p>で、「ポメラで Blog 書くぞ～」と思って設定を調整したり、引用する『アナキズムＦＡＱ』のテキストを流し込んだりしているうちに、先週末は終わり、で、いざ Blog をポメラで書こうと思うと、中々時間が取れなかったり。今週末は何かと忙しくしているうちに過ぎてしまい、こんな状態となりました。</p>
<p>ちなみに、このエントリーはポメラで書いてません（爆）。ポメラは確かに長文向きだけど、切ったり貼ったりしながら文章を書くには、チョッとコツがいるみたいです。</p>
<p>とそんな訳で。今日のお題ですが、</p>
<p>「アナキストはテロを支持するのか？」<br />
「アナキストの倫理観はどのようなものか？」<br />
「何故、大部分のアナキストは無神論者なのか？」</p>
<p>の三本です。これで長かったセクション A.2 ともお別れです（笑）。</p>
<p>「アナキストはテロを支持するのか？」</p>
<p style="padding-left: 30px;">　支持しない。それには三つ理由がある。<br />
　まず、テロとは、何の罪もない人々を殺す標的にしたり、それを憂慮したりしないことを意味している。アナーキーが存在する為には人民大衆がアナーキーを作り出さねばならない。他人を爆破することで自分の考えを認めさせることなどできない。第二に、アナキズムは自己解放に関するものだということである。社会関係を爆破することなどできない。ごく一部のエリートが大多数のために支配者に対して破壊行動をしたところで、自由は創造できない。単純に述べてしまえば『数世紀に渡る歴史に基づいた構造を、数キロの爆薬で破壊することなどできないのだ。』[Martin A. Millar, Kropotkin, p. 174で引用されているクロポトキンの言葉] 民衆が支配者を必要だと感じている限り、ヒエラルキーは存在する（詳細はセクションA.2.14を参照）。前にも強調したが、自由を与えることなどできない。自由は勝ち取るのである。第三に、アナキズムは自由を目指している、ということである。バクーニンは次のように述べている。『人間の解放を求めて革命が実行されているときには、人間の生命と自由とが尊重されねばならない。』[K.J. Kenafick, Michael Bakunin and Karl Marx, p. 125で引用] アナキストの考えからすれば、手段が目的を決定する。テロは本来、個人の生命と自由を侵害する。従って、アナキズム社会を構築するために使うことなど出来ないのである。</p>
<p>「他人を爆破することで自分の考えを認めさせることなどできない」、まあ当たり前の話ですね。大衆運動であるはずのアナキストが、大衆を敵に回すのは得策でないことは、火を見るより明らかでしょう。</p>
<p>この引用の後、延々とメディアや国家が「アナキスト」＝「テロリスト」の構図を演出しようとしたか、実例が続いてます。興味がある方は直接『アナキズムFAQ』を参照して下さい。</p>
<p style="padding-left: 30px;">　だからといって、アナキストが暴力行為を行ったことはない、という意味ではない。行ったことはある（他の政治運動や宗教運動のメンバー同様に）。テロとアナキズムが関連付けられている主な理由は、アナキスト運動で「行動によるプロパガンダ」時代があったためである。<br />
　当時（大体1880年から1900年まで）、少数のアナキストが頻繁に支配階級メンバー（皇族や政治家など）を暗殺していた。さらに悪いことに、この時期に標的になったのは、ブルジョア階級メンバーが足繁く通っていた劇場や小売店だった。この行為が「行動によるプロパガンダ」と名付けられた。アナキストは、ロシアのポピュリスト（ナロードニキ）が1881年にアレクサンドル二世を暗殺したことに刺激されてこの戦術を支持するようになった（「自由　Freiheit」誌において、圧制者の暗殺と大逆を賞賛したヨハン＝モストの有名な論説「遂に！　At Last!」はこの出来事に刺激されていた）。だが、この戦術をアナキストが支持したのには、もっと深い理由があった。まず第一に、労働者階級人民に対して向けられた弾圧行為の復讐のためであった。そして第二に、抑圧者を倒すことは可能だと示すことで、民衆の叛乱を促す一つの手段だと考えられていたのである。</p>
<p>自分達が行った「暴力行為」をきちんと総括しているように読めますが、「抑圧者を倒すことは可能だと示すことで、民衆の叛乱を促す一つの手段だと考えられていた」というのはともかく、「労働者階級人民に対して向けられた弾圧行為の復讐のため」というのは、ワタシは少なからず受け入れがたいですね。</p>
<p>確かに「労働者階級人民」が受けた「弾圧行為」は凄惨を極めたものでしょう。しかし、「復讐」してみても、「ヒエラルキー」のアタマが入れ替わり、その先に待ってるのは更なる「弾圧行為」なんではないでしょうか。</p>
<p style="padding-left: 30px;">　大部分のアナキストは行動によるプロパガンダには戦術上反対しているが、それをテロだと考えていたり、いかなる状況下でも暗殺を禁止しようと考えている者はほとんどいない。戦争中にそこに敵が一人いる可能性があるという理由で一つの村を爆撃することは、テロである。しかし、多くの人を殺している独裁者や抑圧国家の長を暗殺することは、良くて自衛、悪くても復讐である。アナキストが以前から指摘して来たように、テロが「何の罪もない人々を殺すこと」を意味するならば、史上最大のテロリストは国家なのだ（この惑星で手に入れることのできる最大の爆弾など大量破壊兵器を持っているのも国家である）。</p>
<p>「テロ」、あるいは「テロリズム」というのは意外と定義が難しく、曖昧模糊としたものだとワタシは常々思っています。</p>
<p>アメリカがブッシュ政権時代に推し進めた「対テロ戦争」なんかは、まさしく「史上最大のテロリストは国家」である事を示していると思ってますが、「何の罪もない人々を殺すこと」とは言っても、実際に暴力を加える人々（それは「軍隊」であったり、「警察官」であったり、「獄吏」であったり）に対して反乱を起こし、彼らを殺してしまうのは「テロ」なのか。開放運動なのか。「テロリスト」に言い分があるならば、（それが受け入れられるものかは別にして）弾圧を加える側の人々にも言い分はあるのではないか。</p>
<p>そういう事を考え出すと、何が「テロ」であるのかどうか、分からなくなってきます。</p>
<p>「多くの人を殺している独裁者や抑圧国家の長を暗殺することは、良くて自衛、悪くても復讐である。」、確かにそうかもしれません。しかし。リビア等の現状を見れば、あるいはイラクの現状を見れば、独裁者や抑圧国家の長を殺したとしても、後に来るのはカオスであり、それは大衆にとってより悪い状態であるのかも知れません。</p>
<p>「アナキストの倫理観はどのようなものか？」</p>
<p style="padding-left: 30px;">　アナキストの倫理観はそれを主張する個々人によって非常に異なっている。だが、誰もが一つの共通の信念を共有している。それは、個人が自分の中で自分の倫理感覚を発達させるべきだ、ということである。すべてのアナキストは、マックス＝シュチルナーの言葉、個人は既存道徳の制約から自由であるべきだし、そうした道徳に対して疑問を持つべきだ、に同意する。『ある事柄が自分にとって正しいことなのかどうかを決めるのは私だ。自分の外に正しいことなどありはしないのだ。』[The Ego and Its Own, p. 189]</p>
<p> 「自分の外に正しいことなどありはしないのだ。」これはその通りだと思いますが、そのコインの裏側には「自分の倫理観に責任が持てること」が隠れていると思います。でなければ、ホッブスの『リバイアサン』で言うところの「万人の万人に対する闘争」状態に陥りますね。</p>
<p>その事を書いてるのか、</p>
<p style="padding-left: 30px;">　しかし、シュチルナーほどまでに、いかなる社会的倫理概念をも拒否しているアナキストは数少ない（こうは言っても、シュチルナーは、エゴイスティックなものではあるが、いくつかの普遍的概念に価値を置いている）。こうした極端な道徳相対主義は、大部分のアナキストにとって、道徳絶対主義とほぼ同じぐらい悪しきものなのである（道徳相対主義とは、一個人に適しているかどうかということを越えて良いとか悪いとかということはない、というものの見方であり、道徳絶対主義とは、個人がどう考えようと良いことは良く悪いものは悪いという見解である）。<br />
　近代社会は過剰な「エゴイズム」つまり道徳相対主義のために崩壊しつつある、と主張されることが多い。これは間違いである。道徳相対主義が広がる限り、それは様々なモラリストや真理の信奉者どもが社会に要求している道徳絶対主義より一歩進んでいることになる。なぜなら、道徳相対主義それ自体は個々人の理性という考えに、貧弱ではあれ、基づいているからである。しかし、道徳相対主義は倫理の存在（望ましさ）を否定しているがために、その反抗対象の単なる鏡面映像でしかない。どちらの立場を取るにせよ、個人を力付けることもなければ、解放することもない。</p>
<p>の部分ではないかと思いました。でも、「道徳相対主義」にも「道徳絶対主義」にも偏らない道、というのは非常に細くて険しいのではないでしょうか。</p>
<p style="padding-left: 30px;">　言い換えれば、生がアナキズム倫理の基礎である。本質的に（アナキストによればだが）、ある人の倫理見解は以下の三つの基本的源泉から導き出される。<br />
　（一）その人が生活している社会から。クロポトキンが指摘しているように『人間の道徳概念は、ある時点・ある場所で前提となっていた社会生活の形態に完全に依存する。このこと（社会生活）は、その時代の人間の道徳概念と道徳教育に示されている。』[前掲書, p. 315] 言い換えれば、人生経験と生活経験からである。<br />
　（二）個人による、上記したような社会の倫理基準の批判的評価から。これがエーリッヒ＝フロムの主張の中核である。『人間は自身の責任を受け入れねばならない。そして、自分の人生に意味を与えることができるようになるのは自分の力を行使したときだけだ、という事実を受け入れなければならない。自分の力を開示し、生産的に生きることで自身の人生に自分で意味を与えなければ、人生に意味などない。』[Man for Himself, p. 45] 言い換えれば、個々人の思考と発達からなのである。<br />
　（三）感情移入から。『道徳的情緒の真の起源は、単に、同情という感情にある。』["Anarchist Morality", Anarchism, p. 94] 言い換えれば、経験や考えを他者と共感し、共有する個人の能力からである。</p>
<p>（一）の部分は、以前にも書いた「教育による埋め込み」も含まれるかと思います。（二）の部分は、大いに受け入れられますが、これが出来る人というのは、やはり極一部に限られる気がします。（三）について、この引用文のすぐ後に、「この最後の要因は、倫理感覚の発達にとって非常に重要である。」と指摘されていますが、どれだけ素晴らしい「倫理観」を自分の内に育て上げようとも、他者と共有されなければ意味がない、と考えれば、確かに重要な要素だと思います。</p>
<p>つまり、</p>
<p style="padding-left: 30px;">　批評精神に基づいた感情移入の感覚が社会倫理の根本的基盤である。「あるべき姿」が真理の倫理的基準であり、客観的な「現在の姿」が妥当かどうかの倫理基準と考えられる。従って、自然の中に倫理の根源を見出しながらも、アナキストは倫理を根本的に人間の考えだと見なす。個々人が創造し、社会的生活とコミュニティが一般化した、生・思考・進化の産物だと見なすのである。</p>
<p>ということではないでしょうか。</p>
<p>「何故、大部分のアナキストは無神論者なのか？」</p>
<p style="padding-left: 30px;">　何故、それ程までに多くのアナキストは無神論を受け入れているのだろうか？最も単純な答えは次のようなものだ。無神論はアナキズム思想の論理を拡大したものであるが故に、大部分のアナキストは無神論者なのである。アナキズムが不当な権威の拒絶だとすれば、それはいわゆる最高権威・神の拒絶だということになる。アナキズムが根差しているのは、理性・論理・科学的思考であって、宗教的思考ではない。アナキストは、信奉者ではなく、懐疑者になることが多い。</p>
<p>前にも書いた通り、ここで前提となっている「宗教」とは、一神教の事だと思います。</p>
<p>「アナキズムが不当な権威の拒絶だとすれば、それはいわゆる最高権威・神の拒絶だということになる。」というのも、どう考えても「一神教」の構図ですね。</p>
<p>ワタシは仏教、特に原始仏教はかなり「アナーキー」だと考えています。</p>
<p>と、「神」を拒絶した上で、このような事も書かれています。</p>
<p style="padding-left: 30px;">　また、アナキストが宗教に反対だからといって、宗教人が社会を改良すべく社会闘争に参画しないということを意味しているわけではない。全く違う。宗教人は、教会ヒエラルキーのメンバーを含めて、1960年代の米国市民権運動で重要な役割を演じた。メキシコ革命中のサパティスタ農民軍内部には宗教的信念があったが、だからといって、アナキストが参加しないわけではなかった（事実、農民軍はアナキスト闘士リカルド＝フロレス＝マゴンの思想に強く影響されていたのだった）。宗教の二重性質こそが、多くの民衆運動と民衆蜂起（特に農民の）とが宗教のレトリックを使っていた理由を説明してくれる。自分達の信念の良い側面を守り続けようとすることが、地上の不公正と闘うことを決意させたのである。アナキストにとって大切なことは、不公正と闘おうとしているかどうかであって、人が神を信じているかどうかではない。</p>
<p>この辺が頭の固い「共産党」と「アナキスト」の違いではないかと、思ったりもします。</p>
<p>というわけで、長かったセクション「A.2 アナキズムは何を主張しているのか？」はこれで終了です。</p>
<p>次回からは「A.3 アナキズムにはどの様な種類があるのか？」に入ります。</p>
<p>はぁ～。先はまだまだ長いや（笑）。</p>
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		</item>
		<item>
		<title>『アナキズムFAQ』読解 第６回「A.2 アナキズムは何を主張してのいるか？（4/5）」</title>
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		<pubDate>Sat, 03 Sep 2011 05:04:34 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Ｓａ－Ｑ</dc:creator>
				<category><![CDATA[その他]]></category>
		<category><![CDATA[全記事]]></category>

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		<description><![CDATA[今、台風が絶賛接近中です 。だいぶ風雨が強くなってきました。チョッとテンション上がってます（爆）。出来れば「台風の目」を観測したいところですが、微妙に進路からズレてるようで、残念です（笑）。 さて、今日のお題ですが、 「 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>今、台風が絶賛接近中です <img src='http://www.lunarflake.com/xoops/modules/XPressME/wp-includes/images/smilies/icon_razz.gif' alt=':-P' class='wp-smiley' />  。だいぶ風雨が強くなってきました。チョッとテンション上がってます（爆）。出来れば「台風の目」を観測したいところですが、微妙に進路からズレてるようで、残念です（笑）。</p>
<p>さて、今日のお題ですが、</p>
<p>「何故、任意主義は不充分なのか？」<br />
「「人間の本性」についてはどうなのか？」<br />
「アナキズムには「完全な」人間が必要なのか？」<br />
「大部分の民衆はバカなため、自由社会を作れないのではないのか？」</p>
<p>といった辺りを読んでいきたいと思います。</p>
<p>「何故、任意主義は不充分なのか？」</p>
<p style="padding-left: 30px;">　任意主義とは、自由を最大限尊重するために協同組織は任意的なものでなければならない、という意味である。アナキストが任意主義者であることは明らかであり、自由合意で創られた自由な協同組織においてのみ、個人は発達し、成長し、自分の自由を表現できるようになると考えている。しかし資本主義の下にあっては、明らかに、任意主義だけでは自由を最大尊重するのに不充分なのだ。</p>
<p>さて、最初から難しい言葉が出てきました。「任意主義」。もう少し説明を読んでみましょう。</p>
<p style="padding-left: 30px;">　任意主義とは約束（つまり、契約する自由）を意味している。約束とは個々人が自立した判断をでき、筋道の通った討議をできるという意味である。さらに、これは、個々人が自分の行為と他人との関係とを評価し変えることができるということを前提としている。しかし、資本主義における契約はこれら任意主義が示していることに反している。</p>
<p>つまり、自由で自立した精神で「約束」を結び、またそれを自由に項目の足し引きが出来たり、解消したりできる、ということでしょうか。</p>
<p>前回までで述べてきた通り、「アナキズム的組織」を考えてみればわかりますが、組織で「少数派」だからといって、反論したり、時には組織を離脱できる自由が保障されていました。</p>
<p>これがつまり「任意主義」、ということなんだと思います。</p>
<p>ところがここで、再び「資本主義」を前提とした場合、「任意主義」では充分ではない、との主張が展開されます。</p>
<p style="padding-left: 30px;">　このことは資本主義社会に見ることが出来る。労働者は生きるためにボスに自分の自由を売り飛ばしている。実際、資本主義の下での自由など、誰に服従しようかを選ぶことができるという程度のことでしかないのだ！しかし、自由とは主人を換える権利以上のことでなければならない。隷属は、任意にしたところで、隷属でしかない。ルソーが主張しているように、主権が『それを不可分にしているのと同じ理由で、代表され得ない』とするならば、主権は、売り渡されたり、雇用契約によって一時的にでも無効にされることもできない。</p>
<p>「労働者は生きるためにボスに自分の自由を売り飛ばしている。」 何年か前のフランスのバカロレア（大学入学資格試験）で、「自由と労働は両立するか否か？」という問題が出たそうです。しかも理系も受ける試験に（笑）。こういう「知識」ではなく「思考力」を重視するヨーロッパは、やはり歴史があるだけ凄いものだと感心した覚えがあります。</p>
<p>それはともかく、アナキストは件のバカロレアには「ノー。両立しない」と書くことになるのでしょうね（笑）。確かに、ワタシ達は「生きるためにボスに自分の自由を売り飛ばしている。」 のかもしれません。</p>
<p>しかしこれも、少し古い構図ではないかと思わないでもないです。いや、何も「仕事で自己実現」といった、フォーディズムの時代に逆戻りする訳ではありませんが、ボスだって一端は雇った以上、簡単に部下のクビをすげ替える訳にはいきませんし、何より、この議論は「資本主義攻撃」のためにする議論、に見えなくもないです。</p>
<p>ではこれを「国家」のレベルに引き上げて考えてみるとどうなるか。</p>
<p>他の国の国籍や、多重国籍の保持者など、少数の例外を除けば、ワタシ達は生まれてくる国を選べません。いや、正確に言えば、大金持ちなら、国外に幾らでも別荘を持ったり、引退後移住しちゃったりできるでしょうが、貧困国や内戦中の国に生まれてきた人は、国家間の「参入離脱の自由」を持ち得ないでしょう。</p>
<p>そう考えれば、「ワタシ達は生きるために国家に自分の自由を売り飛ばしている」と言えなくもない気もします。</p>
<p>とはいえ、、、</p>
<p style="padding-left: 30px;">同様の理由で、アナキストは（プルードンは明らかに例外だったが）結婚に反対してきた。その理由をヴォルテリーン＝デ＝クライアーは次のように述べている。女性を『主人の名を名乗り、主人のパンを食べ、主人の命令を聞き、主人の情念に仕え、主人の同意無しにはいかなる財産をも管理できず、自分の肉体すら管理できない、身動き取れぬ奴隷』にしているからだ [Paul Avrich, An American Anarchist: The Life of Voltairine de Cleyre, p. 160で引用]。フェミニストの扇動によって、結婚は、平等者の自由結合というアナキズムの理想に向けて改善されてきているが、なおも、ゴールドマンとデ＝クライアーのようなアナキストが特定し非難した家父長制原理に基づいているのである（フェミニズムとアナキズムに関してはセクションA.3.5を参照）。</p>
<p>ここまで踏み込む勇気はワタシにはありません <img src='http://www.lunarflake.com/xoops/modules/XPressME/wp-includes/images/smilies/icon_lol.gif' alt=':lol:' class='wp-smiley' />  。いや、結果的には「アナキスト」的振る舞い（未婚）をしていますが、こればっかりは、自分が「条件付きアナキスト」だから、ではありません！　絶対に（笑）。</p>
<p>とまぁ、自虐ネタはこれくらいにして、これについても少し考えてみますと。</p>
<p>現在の日本では、少なくともここまで酷い「家父長制」は、かなりの例外を除けば、ほとんどないのではないでしょうか。</p>
<p>それが即座に「良いこと」だと言い切れないところが、ワタシには悩ましいところです。まぁ、結婚生活を送ったことがないので、考え過ぎなのかも知れませんが、VIDEONEWS&gt;COM の神保哲生氏がよく言うように、「産湯と一緒に赤ん坊まで流し捨てる」、つまり、古い要らないモノを捨てるのに、（その古いモノが担ってきた）「必要な機能」まで捨て去ってしまう、と言うことです。そういう部分がもしかしたら結婚生活においてもあるのかも知れません。</p>
<p style="padding-left: 30px;">　もちろん、「アナキストは、ある種の社会的関係を他のそれよりも重要視しているではないか」そして「真の自由人であるならば他人が自分なりの社会的関係を選ぶ自由を許容すべきだ」という反論もあろう。</p>
<p> 途中をはしょって、この二つの「アナキストへの反論」について考えてみます。</p>
<p style="padding-left: 30px;">　第二の反論から先に回答させてもらおう。私有財産（国家主義もそうだ）に基づいた社会において、財産を持った人々は多くの権力を握り、それを使って自分の権威を永続させることができるようになる。アルバート＝パーソンズは『富は権力であり、貧困は弱さである』と述べている。つまり、資本主義の下では、非常に賞賛されるべき「選択の自由」など、極度に限られているのである。大多数の人々にとって、主人を選ぶ自由となっているのである（パーソンズは皮肉を込めて述べているのだが、奴隷制の下で、その主人は『自分の奴隷を選んでいた。賃金奴隷制の下では、賃金奴隷が自分の主人を選ぶ。』）。パーソンズは強調している。資本主義の下で『自分の自然権を相続していない無産者は、抑圧している階級に雇われ、仕え、服従するか、餓死するしかないのだ。他の選択肢などない。金では買えないものが世の中にはあり、その最高のものが命と自由である。自由人は売ったり雇ったりされないのだ。』[Anarchism, p. 99 and p. 98] ならば、何故、私たちは隷属状態を許容し、他者の自由を制限したいと思っている人々を我慢しなければならないというのだろうか？命令する「自由」は奴隷になる自由である。従って、実際には自由の否定なのだ。</p>
<p> 『富は権力であり、貧困は弱さである』、これは現在の資本主義社会においては真実ですね。</p>
<p>確かに、「貧しくても楽しい我が家」という時代が、日本にも高度経済成長期の直前くらいにあったかと思います。</p>
<p>とはいえ、現在では『富は権力であり、貧困は弱さである』、これを否定できるのは、資本（お金）の怖さを知らない人なんだと思います。端的な例は、先ほど挙げた、「生まれてくる国を選べない」事ですね。</p>
<p>では第一の反論についてはどうでしょうか。</p>
<p style="padding-left: 30px;">　最初の反論に関して、アナキストはその罪を認める。私たちは偏見を持っているのだ。私たちは偏見を持って、人間がロボットの状態へと陥落させられるのに反対する。私たちは偏見を持って、人間の尊厳と自由とを好ましいものだと思う。実際、私たちは偏見を持って、人間性と個性とを素晴らしいと思っているのだ。</p>
<p> 認めちゃってます（笑）。開き直ってます（笑）。とはいえ、「偏見」の無い思想、というのは存在し得ないような気もしますし、これはこれで良いのかも。</p>
<p> 「人間の本性」についてはどうなのか？」</p>
<p style="padding-left: 30px;">　アナキストは、「人間の本性」を無視するものではさらさらなく、この概念を深く考え、反映させるための唯一の政治理論を持っている。「人間の本性」は、アナキズムに反対する主張を弁護するときの最後の台詞として投げかけられることが非常に多い。アナキストには返答できないと思われているからである。だが、そんなことはない。<br />
　第一に、人間の本性は複雑である。人間の本性が「人間が行っていること」を意味するのであれば、それは明らかに矛盾だらけである。愛と憎しみ・同情と無情・平和と暴力など、これらは全て人間が表現していることであり、全て「人間の本性」の産物である。もちろん、「人間の本性」は社会情況と共に変化する。例えば、数千年もの間、奴隷制度は「人間の本性」の一部であり「普通」のことだと考えられていた。同性愛は古代ギリシャでは完全に普通のことだと見なされていたが、キリスト教教会が非難して以来数千年間は不自然なものになった。国家が発展して初めて、戦争は「人間の本性」の一部となった。</p>
<p> 「人間の本性」は社会情況と共に変化する。」、これは重要な指摘だと思います。</p>
<p>例えば、「イスラム教の指導者」とメディアで出てきたりしますが、これは正しく訳すと「イスラム法学者」、なのだそうです。社会システム論で言えば、&lt;社会&gt;のサブシステムであるところの&lt;宗教&gt;と&lt;法&gt;が未分化の状態（これは決して「劣っている」という価値判断を含みません）なのであって、そういう文化と資本主義とが相容れることは非常に難しい。つまり、「人間の本性」なんて、その程度のものなのかもしれません。</p>
<p style="padding-left: 30px;">　だからと言って、人類が何から何まで環境によって形成され、個々人は、「社会」（実際にはこれは、社会を運営している人々のことである）が形作ってくれるのをただ待っているだけのタブララサ（何も書かれていない石板）として生まれるという意味ではない。（略）人間の特徴のどれが「生得」的で、どれがそうではないかという議論をここでするつもりはない。ここで言おうとしていることは、人間は、思考し学習する能力を生得的に持っている－－これは充分明白なことだと私たちは感じている－－のであり、自分が完全だと感じ成功するために他者との付き合いを必要とする社交的な生物である、ということである。さらに、人間は、不公正と抑圧を認識し、それに反抗する能力を持っているのだ（バクーニンは正しくも『思考する力と叛逆の欲求』を『尊い能力』だと見なしていた [God and the State, p. 9]）。</p>
<p> これは、「人間の本性」は時が経ち、学習や経験から変化していく、ダイナミックなものだということでしょうか。</p>
<p>以前、「（アナキズム的組織を実現するためには）教育によって埋め込む」必要があり、「直接民主制」自体が、「教育」の実践場になると書きました。やはりその考えは正しそうな気がしてきました（笑）。</p>
<p>「アナキズムには「完全な」人間が必要なのか？」</p>
<p style="padding-left: 30px;">　いらない。アナーキーはユートピア、つまり「完全な」社会ではない。それは人類に関連した諸問題・希望・恐怖全てを持った人間の社会となるであろう。アナキストは、アナーキーが機能するために人間が「完全」でなければならないとは考えない。ただ自由にならねばならないのだ。</p>
<p> ワタシはこれまで何度か「自分で考え、行動し、責任を取れる人間はあまりに少ない」と書いてきました。誤解のないように書いておきますが、これは「完全な」人間、を指しているのではありません。このセクションと次のセクションではその事について書いていきたいと思います。</p>
<p style="padding-left: 30px;">アナキズムに反対する人々は「完全な」人間－－権威ある立場についても権力に溺れることのない人間、ヒエラルキーや特権などの歪んだ効果に奇妙にも影響されることのない人間－－を想定していることが多い。しかし、アナキストは人間の完成についてその様な主張をしない。私たちは、人間は完全ではないからこそ、一人の人間やエリートの手に膨大な権力が握られることは良い考えなどではない、と認識している。<br />
　記しておかねばならないが、アナキズムは「新しい」（完全な）人間を必要としているという考えは、アナキズムの敵対者が提起していることが多いのである。アナキズムの信用を落とそうとしている（そして、通常、ヒエラルキー型権威の、特に資本主義の生産関係にけるヒエラルキー型権威の、維持を正当化している）のである。結局、民衆は完全ではないし、完全になることなどありそうもない。したがって、こうした敵対者は、アナキズムを非現実的だとして無視するために、政府が崩壊したあらゆる実例に飛び掛り、結局は混乱に終わるのだと責め立てる。「法と秩序」が崩壊し、略奪が行われているとき、メディアは、その国は「アナーキー」に陥ったと大喜びで宣言するのが常なのである。</p>
<p>ここで言われている「完全な」人間とは何だろう。「権威ある立場についても権力に溺れることのない人間、ヒエラルキーや特権などの歪んだ効果に奇妙にも影響されることのない人間」と説明されてますが、こんな人間、有り得ませんよね（笑）。</p>
<p>無論、歴史上には「立派な人」、「『徳』のある人」は多くいました。特に「権威ある立場についても権力に溺れることのない人間」に近い人は、結構居たんじゃないかと思います。</p>
<p>しかし、それらの人が何の「歪み」も持ち合わせていない、とはとても考えられません。</p>
<p style="padding-left: 30px;">　アナキストは、こんな主張には動じない。ちょっと考えれば分かることだが、このような誹謗中傷をしている人々は、アナキストのいないアナキズム社会を想定するという基本的な誤りをしているのである！（右翼「アナルコ」キャピタリストも真のアナキズムの評判を落とすために似たような主張をしている。だが、そうした人々の「異論」は、アナキストのいないアナキズム社会を暗に想定しているために、自分たちがアナキストだという主張自体を疑わしいものにしているのである！）言うまでもなく、未だに権威・財産・国家を必要だと見なしている人々から成る「アナーキー」なぞ、すぐにも権威主義（つまり、非アナキズム）社会に戻ってしまうだろう。政府が明日転覆されても、同じシステムがすぐに生まれてしまうからである。『政府の強みは政府それ自体にあるのではなく、民衆にある。大暴君はバカではありえても、超人であることはない。その人の強みはその人自身にあるのではなく、その人に従うのが正しいと考えている民衆の迷信にある。そうした迷信が存在する限り、解放者が暴政の首を切り落としても何の意味もない。民衆は別なものを作り出してしまう。民衆は自分たちの外にいる何かに依存するのにすっかり慣らされているからなのだ。』[George Barrett, Objections to Anarchism, p. 355]</p>
<p>「アナキストのいないアナキズム社会を想定する」。何度か引用文に登場した通り、アナキズムは「下から」の運動ですね。その「下」を支える人間が居ないのに、屋根だけある（社会構造だけある）のは、あまりに滑稽だし、維持運用者が誰も居ないのだから、早晩崩れさる事は、分かり切ったことです。</p>
<p>とはいえ、「未だに権威・財産・国家を必要だと見なしている人々から成る「アナーキー」なぞ、すぐにも権威主義（つまり、非アナキズム）社会に戻ってしまうだろう。」という批判は、「条件付きアナキスト」としては耳が痛いですが、肝に銘じておきます。</p>
<p style="padding-left: 30px;">　言い換えれば、アナーキーを作り出し長続きさせるには、アナキストが必要なのだ。しかし、こうしたアナキストが完全である必要はない。命令－服従関係と資本主義的所有権が必要だという迷信から自身の努力で自己解放をした人であればいいのだ。アナーキーには「完全な」人が必要だという考えの裏には、自由は与えられるものであり勝ち取るものではない、という前提がある。したがって、「完全な」人間を必要とするアナーキーは失敗する、という自明の結論が導かれるわけだ。しかし、この主張は、自由社会を作り出すためには自主的活動と自己解放とが必要だということを無視している。アナキストにとって、『歴史は、支配する側とされる側との、抑圧する側とされる側との闘争である。』[Peter Kropotkin, Act for Yourselves, p. 85] 思想は闘争を通じて変化する。その結果、抑圧と搾取に対する闘争において、私たちは世界を変えるだけでなく、同時に自分たち自身を変えるのだ。自分自身の生活に・地域社会に・この惑星に関して責任を取ることができる人々を創り出すのは、自由を求めた闘争なのである。自由を求めた闘争が、自由社会において平等者として生活できる人々を創り出し、アナーキーを可能にするのである。</p>
<p> この部分を読むと、前にも少し触れた『近代の奈落』(宮崎学著 幻冬舎アウトロー文庫)を思い起こします。</p>
<p>明治期以降、「部落解放運動」には、共産党員主導のものと、アナキスト主導のものと二系統存在しますが、共産党員の解放運動はどちらかというと「完全な人間」を求めていたように思います。また、共産党員の解放運動も「自由は勝ち取るもので与えられるものではない」という点では一致しているように見えますが、共産党員の解放運動は（主語がない）「『我々』が勝ち取るもの」という傾向が微妙に見え隠れしていたようにも思います。</p>
<p>対してアナキストはやはり、当事者（被差別部落出身者）が「自由」に目覚め、自ら行動することを支援する方向性だったように思います。</p>
<p style="padding-left: 30px;">　したがって、政府が消滅した結果として生じる混乱はアナーキーでもなければ、実際、アナキズムに不利な実例ですらない。単に、アナキズム社会を創造するために必要な前提条件が存在していない、というだけのことである。アナーキーは、社会の中核における集団闘争の産物であって、外的ショックの産物ではない。ましてや、強調しておくが、アナキストはそうした社会が「一晩で」出現するなどとは考えていないのだ。むしろ、アナキズムのシステムを創造するのは、イベントではなく、プロセスなのである。どのようにアナキズム社会が機能するのかに関する詳細は、即座に完全な形で出現するのではなく、経験と客観的情況を踏まえて時間とともに進化していくのである（マルクス主義者は逆の主張をしているが、それについてはセクションH.2.5を参照）</p>
<p> 「アナキズムのシステムを創造するのは、イベントではなく、プロセスなのである。」今までの主張からすると、まさにその通りですね。</p>
<p>今、リビアを初め中東各地で「民衆の蜂起」が起きていますが、この中から「アナキストの国」が生まれることはないでしょう。「暴動と政府の転覆」という「イベント」がアナキズムを創造するのではなく、放棄に参加する人々が自ら「自由」に対して徹底的に考察し、成長していくプロセスがなければ、アナキストが生まれ、アナキズム社会を建設する余地はないでしょう。</p>
<p style="padding-left: 30px;">　だからといって、アナキズム社会は、万人がアナキストになるまで待たねばならないという意味ではない。全く違う。例えば、金持ちと権力者が突然、自分たちのやり方の誤りを理解し、自発的にその特権を放棄することはまずあり得ない。大規模で成長し続けるアナキズム運動に直面すると、支配エリートは常に、社会におけるその立場を防衛するために弾圧を行使してきた。スペイン（セクションA.5.6）とイタリア（セクションA.5.5）におけるファシズムの利用は、資本家階級がどこまで深く堕ちることが出来るのかを示している。アナキズムは、少数の支配者による抑圧に直面して創造され、その結果、権威を再創造しようという試みに対して防衛されるのである（アナキストは反革命に対してアナキズム社会を防衛する必要を拒絶しているとマルクス主義者は主張しているが、この主張に対する論駁はセクションH.2.1を参照）。</p>
<p> アナキズムというのは、「既成の社会システム」の中から良さそうなのを選んで（権威の再創造）「勝ち馬に乗る」ことで生成されるものではなく、自ら行動し、考え抜くことで自ら成長すると共にコミュニケーションを通じてじわりじわりと広がっていく。そういう事なんでしょうね。</p>
<p style="padding-left: 30px;">　逆に、アナキストは、自分たちの活動の焦点は、抑圧と搾取の対象となっている人々を説得することであるべきだと主張する。つまり、そうした人々は抑圧と搾取に抵抗する力を持っており、究極的には、それらの原因である社会制度を破壊することで、抑圧と搾取を終わらせることができるのだ、と説得するのである。</p>
<p> ここでも『近代の奈落』を思い起こします。「オルグ」ではなく「説得」。この微妙な違いが共産党を含む、他の新旧「左翼」（ここでは分かりやすくするために、あえてこの言葉を使います）運動とアナキズムの違い、なのかもしれません。</p>
<p style="padding-left: 30px;">　結論を述べよう。アナキズム社会の構築は、人々が完全であるかどうかに依存するのではない。大多数の人々がアナキストとなり、社会をリバータリアンのやり方で再組織したいと思うかどうかに依るのである。だからといって、個人間の葛藤が減るわけでもないし、一夜にして十全に形成されたアナキズム的人間性が出現するわけでもない。社会変革の闘争が闘争を行っている人々を革命的にした後でも存在し続けるあらゆる偏見や反社会的行動を徐々に減じていくための土台を作るのである。</p>
<p> 「だからといって、個人間の葛藤が減るわけでもないし、一夜にして十全に形成されたアナキズム的人間性が出現するわけでもない。」まぁ、当たり前のことですね。むしろ「個人間の葛藤」は増えるのではないかと思います。その時に必要となるのが「忍耐」と相手を説得する「実践的に磨かれた思考」、そして組織に対する「任意主義」、つまり「参入離脱の自由」なのでしょう。</p>
<p>「大部分の民衆はバカなため、自由社会を作れないのではないのか？」</p>
<p style="padding-left: 30px;">　アナキズムＦＡＱにこの質問を含めなければならないことは残念だ。しかし、多くの政治的イデオロギーは、普通の民衆はバカだから自分の生活を自分で管理したり社会を運営したりできない、と公に仮定している。左翼であれ右翼であれ、資本主義者の政治議題の隅々にこの主張を行っている人々がいる。レーニン主義者であれ、フェビアン主義者であれ、客観主義者であれ、その前提は、選ばれた少数者だけが創造的で知的であり、こうした人々が他者を統治すべきだ、である。「自由」や「民主主義」といった陳腐な文句に関する流暢で華麗なレトリックの裏に、このエリート主義は隠れているものだ。こんなレトリックなど、イデオローグどもが民衆の批判的思考を鈍らせようとして、民衆が聴きたいと思っていることを口にしているだけのことなのである。</p>
<p> 先のセクションでは「自分で考え、行動し、責任を取れる人間はあまりに少ない」というワタシ自身の主張についてあまり（というかほとんど（笑））説明できませんでした。</p>
<p>ここで補足しておきますが、勿論のこと、「自分で考え、行動し、責任を取れる人間」以外はバカだ、とは考えていません。むしろ、（アナキスト流に言えば（笑））「ヒエラルキー構造」が「自分で考え、行動し、責任を取る」というコストを払わない方が楽になるように組織化されているからだと考えます。</p>
<p>加えて、日本には「空気」の支配力という、やっかいなものがあります。これについては、また改めて論じる機会があると思います。</p>
<p style="padding-left: 30px;">　エリート主義者が民衆の解放に理解を示そうとしている場合であっても、彼らの考える解放は、親切なエリート（レーニン主義者にとって）やバカなエリート（客観主義者にとって）によって、虐げられた人々に与えられるものなのである。だから当然、失敗する。自由社会を作り出すことができるのは自己解放だけである。権威の持つ壊滅的で歪んだ効果を克服できるのは自己活動のみである。こうした自己解放の実例は数少ないが、それ以前には自由など持ち得ないと考えられていた大多数の民衆がその課題に向けて非常に積極的に活動することを証明しているのである。</p>
<p>突然ですが、 ここでイギリスという国について考えたいと思います。まぁ、大戦前の列強諸国ならどこでも良いのですが。</p>
<p>宮台真司氏が指摘していましたが、『サンダーバード』という人形劇は、いかにもイギリス的、なのだそうです。</p>
<p>考えてみて下さい。『サンダーバード』の殆どの回は、「困っている人々」の元に、どこからともなく「空から降りてきた救援者」が、問題を解決してしまう。これは意地悪く見れば、「文明化されてない人々」の元に、どこからともなく「大英帝国」の船がやってきて、統治者として人々を教化する（といいつつ、実際は酷い扱いをするわけですが）事と、対対象となってますね。</p>
<p>無論、『サンダーバード』トレーシー一家の「善意」にささえられ、困っている人々を助けた後は颯爽と去っていく。</p>
<p>とはいえ、「善意」に支えられているものの、どこか「エリート主義」の臭いがつきまとっている気がしないでもないです。まぁ、所詮は子供向け番組なんだから、純粋に楽しめばいいのですけどね（笑）。</p>
<p>話しを戻します。どちらにしろ、「エリートから与えられる『開放』」はろくな事がない事は、大戦前の列強諸国の振る舞いを含め、数え始めればキリがないでしょう。一つ指摘しておくべきかもしれないことは、先の「完全な人間」があり得ない。、「エリート」といえども「完全な人間」ではあり得ない事です。</p>
<p style="padding-left: 30px;">　このように、アナキストは、人民大衆の能力の欠如を理由としたアナーキー反対論は、本質的に自己矛盾である（あからさまな独善ではないとしても）、と断固として確信している。民衆がアナキズムにとってあまりにもバカだとすれば、人が言及したいと思っているいかなるシステムにとってもバカ過ぎることになる。究極的に、アナキストは、こうした観点は、生物種としての人間性と歴史を誠実に分析したのではなく、分析単に、ヒエラルキー社会が創り出した奴隷メンタリティを映し出しているに過ぎない、と主張するのである。 </p>
<p>「民衆がアナキズムにとってあまりにもバカだとすれば、人が言及したいと思っているいかなるシステムにとってもバカ過ぎることになる。」まさにその通りですね。まぁ、このように指摘したとしても、昔、「ノミの心臓に鮫の脳みそ」と揶揄された人が「無党派層は、選挙の時には寝ていてくれ」と言ったのと同じ意味で、開き直って「バカな方がやりやすい」と言うかも知れませんが（笑）。</p>
<p>さて、長かったセクションA.2 も次回で最後です。でも、それで終わりではありません（笑）。まだまだ先は長いや（遠い目で「なんでこんなバカなこと始めたんだろう」とちょっと後悔するＳａ－Ｑ（笑））。</p>
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		<item>
		<title>『アナキズムFAQ』読解 第５回「A.2 アナキズムは何を主張してのいるか？（3/5）」</title>
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		<pubDate>Fri, 26 Aug 2011 14:13:34 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Ｓａ－Ｑ</dc:creator>
				<category><![CDATA[その他]]></category>
		<category><![CDATA[全記事]]></category>

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		<description><![CDATA[なんだか回を追う毎に引用部分が増大し、長文化している気がしますが 。 めげずに、前回に引き続き「アナキズムは何を主張しているか？」の続きです。５回のうち、やっと３回目です。半分超しました（爆）。でも、セクション「Ａ．２」 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>なんだか回を追う毎に引用部分が増大し、長文化している気がしますが <img src='http://www.lunarflake.com/xoops/modules/XPressME/wp-includes/images/smilies/icon_razz.gif' alt=':-P' class='wp-smiley' />  。</p>
<p>めげずに、前回に引き続き「アナキズムは何を主張しているか？」の続きです。５回のうち、やっと３回目です。半分超しました（爆）。でも、セクション「Ａ．２」の半分を超したに過ぎないです <img src='http://www.lunarflake.com/xoops/modules/XPressME/wp-includes/images/smilies/icon_lol.gif' alt=':lol:' class='wp-smiley' />  。</p>
<p>今回は、</p>
<p>「ヒエラルキーの廃絶は何を意味し、何を成し遂げるのか？」<br />
「何故、大部分のアナキストが直接民主主義を支持するのか？」<br />
「コンセンサスは、直接民主主義に代わりうるのか？」<br />
「アナキストは個人主義なのか、それとも集団主義なのか？」</p>
<p>について読んでいきます。</p>
<p>「ヒエラルキーの廃絶は何を意味し、何を成し遂げるのか？」</p>
<p style="padding-left: 30px;">　リバータリアン組織に基づいて新しい社会を創造することは、日々の生活に数え切れない程の影響を与えるだろう。数多くの民衆が権能を持つことにより、今は推測するしかないようなやり方で社会が変わるだろう。<br />
　しかし、多くの人がそうした組織形態は非現実的で、失敗するに決まっていると考えている。連邦的で非権威主義の組織は混乱と分裂を招く、と考える人たちに対して、アナキストは次のように主張する。国家主義で中央集権型のヒエラルキー組織形態は、参画ではなく無関心、連帯ではなく薄情、団結ではなく画一化、平等ではなく特権的エリートを生む。その上さらに重要なことだが、そういう組織は個人の発意を破壊し、独立した行動や批判的思考を押し潰すのである（ヒエラルキーについては、セクション B.1 「何故アナキストは権威及びヒエラルキーに反対するのか？」を参照）。</p>
<p>「多くの人がそうした組織形態は非現実的で、失敗するに決まっていると考えている。」に対する反論として「ヒエラルキー組織形態の難点」を並べてます（笑）。論点ズラしです（笑）。</p>
<p>でもご安心を。直後にこう書いています。</p>
<p style="padding-left: 30px;">　リバータリアン的組織がうまく機能すること、それが自由に基づき自由を促進するものであるということは、スペインのアナキズム運動が証明した。イギリス独立労働党の書記長フェンナー＝ブロックウェイは、1936年の革命中にバルセロナを訪れた際、次のように記した。『アナキストたちの間には大きな連帯が存在している。それは、各個人が、指導部に依存せずに、自分の強さを頼みにしているためである。組織が成功するためには、自由に考える人々が結びついていなければならない。単なる群衆ではなく、自由な個人が結合しなければならないのである。』[Rudolf Rocker, Anarcho-syndicalism, p. 67f で引用]</p>
<p>個人の観察なので、論拠としては薄弱な気がしないでもないですが、「単なる群衆ではなく、自由な個人が結合しなければならない」というのは、これまでも、そしてこれからも何度も出てくる「アナキズム的組織」の特徴ですね。ちなみに、何の説明もないですが、文脈からして「リバータリアン的組織」とは「アナキズム的組織」と同意語でしょう。詳しくは「A.1. 3 アナキズムは何故「リバータリアン社会主義」とも呼ばれるのか？」を復習です。</p>
<p style="padding-left: 30px;">　アナーキーはまた、資本主義とその権力関係から利益を受けているといわれる人たちにとっての利益にさえなるだろう。アナキストは『主張する。支配者も支配される側も、双方とも権威によってダメにされている。搾取する側も搾取される側も、どちらも搾取によってダメにされているのだ。』[Peter Kropotkin, Act for Yourselves, p. 83]　なぜなら『いかなるヒエラルキー関係においても、支配者は従属者と同様に、高い代価を支払わされている。「統御の誉れ」の代価は実際深刻なのである。あらゆる暴君は、自分の対価に憤慨していた。暴君は、ヒエラルキー旅行の道のりで、最初から最後まで、服従者の中に眠る創造的潜在能力という死加重を引きずる羽目になっているのだ。』[For Ourselves, The Right to Be Greedy, Thesis 95]</p>
<p>チョッと難しい一文ですね。しかし、「資本主義とその権力関係から利益を受けているといわれる人たちにとっての利益にさえなるだろう。」という指摘は重要だとおもいます。</p>
<p>「服従者の中に眠る創造的潜在能力という死加重」というのは、つまり、支配される人々が潜在的に持っているはずの創造性が発揮されないため、組織が不活発化する、という意味でしょうか。</p>
<p>だとすると、少し一面的な見方であり、現在の複雑化した社会システムにおける「会社」組織が、いかに「創造性」を重要視している（有名な幾つかのＩＴ企業が典型ですね）かという事実とズレがある気がします。とはいえ、大部分の「会社」組織に関して言えば、当てはまる部分があるかも知れません。</p>
<p>「何故、大部分のアナキストが直接民主主義を支持するのか？」</p>
<p style="padding-left: 30px;">　当たり前のことだが、人間的生活を謳歌するためには、個人は協力して働かなければならない。そして、『他の人と協力せざるを得ないとなると』個人は三つの選択肢を持つ。『他人の意志に服従する（奴隷になる）か、自分の意志に他人を従わせる（権力者になる）か、万人に最大の利益をもたらすべく友愛を持って合意する中で他者と共に生きる（仲間になる）かである。誰もこの必然から逃れることはできない。』[Errico Malatesta, Life and Ideas, p. 85]<br />
　アナキストはもちろん、最後の選択肢、協同組織を選ぶ。それが、個人が自由で平等な人間として共に活動する唯一の方法であり、お互いの唯一性と自由を尊重する方法だからである。直接民主主義の中で初めて、個人は自己表現できるようになり、批判的思考と自制を実践できる。そのことで、自分の知的・倫理的能力を最大限発達させることができるのである。個人の自由を増大させ、個々人の知的・倫理的・社会的力量を大きくするという点では、いつもボスの意志に従順であるよりは、時には少数派にいる方がずっと良い。それならば、アナキズムの直接民主主義の背後にある理論はどのようなものなのだろうか？<br />
　バートランド＝ラッセルは次のように書いている。アナキストは『集団的意志決定という意味での政府の廃絶を望んではいない。廃絶しようとしているのは、決定に反対する人々にその決定が無理矢理押し付けられるシステムである。』[Roads to Freedom, p. 85]</p>
<p>『集団的意志決定という意味での政府の廃絶を望んではいない。廃絶しようとしているのは、決定に反対する人々にその決定が無理矢理押し付けられるシステムである。』</p>
<p>つまり、アナキスト＝無政府主義者というのは、やはり誤訳ですね。人間が社会生活を営む以上、「集団的意志決定」は必ず必要です。その事はアナキスト的組織を持ち出すまでもなく、アナキストは熟知している訳ですね。</p>
<p>問題は、少し先走りますが「多数派の意志決定が少数派に無理矢理押しつけられる」システムにある、ということだと思います。</p>
<p>しかし、その「問題」にたどり着く前に、直接民主制についての説明が延々と続きます（笑）。</p>
<p style="padding-left: 30px;">協同組織は、メンバー全員の集会を中心に組織される（大きな職場や町の場合、部署や町内といった機能的なサブグループが中心となるであろう）。この集会では、他の集会と協力しながら、個人の政治的責務の内容が定義される。協同組織で活動する中で、人々は批判的判断と選択を行わなければならない。つまり、自分たちの活動を自分たちで管理するのである。服従を約束する（国家や資本主義企業のようなヒエラルキー組織ではそうなのだが）のとは異なり、個々人は、自分が関与する集団の意志決定に参加し、仲間に対する自分の態度を表明することに参加するのである。つまり、政治的責務は、当該グループや社会の上部にある国家や企業のような別個の団体が負うのではなく、仲間の「市民」同士が負うのである。<br />
　集会に集まった人々は協同組織の規則を集団的に制定し、個人としてその規則に拘束される。しかし、その規則はいつでも変更したり廃止したりできる、という意味で、個人は規則よりも上位なのである。集団として、提携した「市民」は政治「権力」となる。しかし、この「権力」は、個人間の水平的関係に基づくものであり、個人とエリートの間での垂直的関係ではないため、この「権力」は非ヒエラルキーなのである（それは「理性的な」もしくは「自然な」ものなのである。</p>
<p>さらりと書いてますが、この直接民主制、個人に掛かるコストは莫大なものだとワタシは思っています。</p>
<p>無論、此処に書いてあることが実現すれば、それは素晴らしい事ですが、何度も書きますが「自分で考え、行動し、責任を取る」事が出来る人間は、あまりに少ない。それ以外の人にとっては、これは苦痛でしかない組織形態でしょう。</p>
<p>「じゃぁ、Ｓａ－Ｑは直接民主制に反対なのか？」と問われれば、答えは「<strong>ノー</strong>」です（笑）。</p>
<p>何回か前に「（アナキズム的組織を実現するためには）教育によって埋め込む」必要があるのではないか、と書きました。その後、気が付いたのですが、この「アナキズム的組織」による「直接民主制」自体が、「教育」の実践場になるのではないか。そう思うようになりました。ただまぁ、そういう「組織」を作るのが、特に日本においては一苦労では済まないとも考えていますが。</p>
<p style="padding-left: 30px;">　もちろん、こうしたシステムでは、どれほど些細なことであっても、必要な決定事項全てに万人が参加する、という意味ではない。いかなる決定であっても集会で提起することはできる（集会でそのように決定されたのであればの話であり、多分、メンバーの一部が提起することになるのだろう）が、実際には、ある種の活動（そして純粋に職務的な決定も）は、協同組織の選任運営陣が担当することになろう。その理由についてスペインのアナキスト活動家、ホセ＝リュナス＝プホルスを引用しよう。『集団それ自体は手紙を書いたり、データ表の数字を合計したり、様々な雑役を行ったり出来ない。これらのことを行うことが出来るのは、個人だけである。』つまり『管理を組織する』必要があるのだ。ある協同組織が『指導的な委員会やヒエラルキー型の官職なしで組織されている』と仮定しよう。この組織は『週に一度以上総会を開き、組織が進歩するために必要な事柄全てを処理する。』この組織はさらに『厳密な管理職務を持つ委員会を任命する。』ただし、総会が『この委員会に明確な運営方針を指示したり、強制的委任をしたりする』のである。そのことで『完全な無政府状態になるであろう。』この組織が『どのように事を進めるのか予め指示された適任者に、それらの職務を委任することは、集団性それ自体の自由を放棄することにはならない。』[Max Nettlau, A Short History of Anarchism, p. 187で引用]</p>
<p>更に直接民主制によるアナキスト組織の説明が続きます（笑）。</p>
<p>まぁ、当たり前のことなので、次、いきましょう（爆）。</p>
<p style="padding-left: 30px;">これまで述べてきた直接民主主義の概念は、多数決原理の概念と必ずしも結びついてはいない。特定の投票で少数派になった場合、少数派は、投票結果に拘束力があると認めることに同意するか、拒否するかの選択に直面する。少数派に判断や選択を行使する機会を与えないのは、自律性を侵害し、自由合意に基づかない義務を負わせることである。多数派の意志に強制的に従わせるのは、引責義務という理念に反し、従って、直接民主主義と自由提携の理念にも反する。故に、自由提携と引責義務という文脈での直接民主主義は、自由の否定ではなく、自由を育むことのできる唯一の手段なのである（『個人の自律は特定の約束事を守るという義務によって限定される』[Max Nettlau, Errico Malatesta: The Biography of an Anarchistで引用されているマラテスタの言葉]）。言うまでもなく、少数派がその組織に留まった場合には、少数派は自分の言い分を主張し、多数派が誤った道を進んでいることを説得しようとすることができる。<br />
　ここで指摘しておかねばならないが、アナキストが直接民主主義を支持しているからといって、多数者が常に正しいと考えているわけではない。とんでもない！民主的参加の主張は、多数派が常に正しいということではなく、全体の福祉よりも自分たちの利益を優先しない少数派はいない、ということなのである。</p>
<p>やっと「多数派の意志決定が少数派に無理矢理押しつけられる」システムへの処方箋が出てきました（笑）。</p>
<p>そう。「多数決」というと「民主主義」の象徴であり、切っても切れない中と思われがちですが、小室直樹先生によれば、それは違うとのことです。</p>
<p>「多数決」の起源は、ローマ教皇を新しく決める際に行われる「コンクラーヴェ」にあるそうです。なぜ、「コンクラーヴェ」に多数決が取り入れられたのかというと、それは教皇不在という不安定な期間を短くするため、「意志決定」を迅速に行うため、です。</p>
<p>つまり、「多数決」と「民主主義」は何の関係もない。むしろ、少数者の意見を封殺するために役立ってきた、というわけです。</p>
<p>とはいえ、ワタシ自身は「少数者の意見を封殺」するのは大反対であると前置きした上で、やはり現在の複雑化した社会システムにおいて、意志決定の迅速さは必要な要素である、という意見も納得できなくはないのです。このあたり、悩ましいところですが。</p>
<p>でも、現在の日本の政治状況を見れば、多数決が「意志決定の迅速さ」故に取り入れられていると誰も理解していないように見えますし、むしろ「敵」をいかに「少数者」に陥れ、いかに「勝ち組」に残るか、という政局ゲームに血道を上げているように見えます。</p>
<p>まぁ、そういう政治家を選んだのはワタシ達自身、なんですけどね。</p>
<p style="padding-left: 30px;">　少数派には、行動・抗議・アピールを行う権利があるのと同様、組織を脱退する権利もあるのだから、多数決が原理として強いられているわけではない。むしろ、多数決は純粋に意志決定の手段に過ぎない。少数派が自分の意志を多数派に強制しないように保証しながら、少数派が反対し意見を表明する（そして自分の意見に従って行動する）ことができるようにしているのである。つまり、多数決は少数派に対する拘束力を持っていないのである。</p>
<p>うん～フリーダム（笑）。これはこれで、少数者にとって結構勇気の要る決断だと思いますが、まぁ当然の帰結でしょうね。</p>
<p style="padding-left: 30px;">　最後に強調しておかねばならないが、アナキストが直接民主主義を支持しているからといって、この解決策があらゆる場面で望ましいという意味ではない。例えば、多くの小規模組織では、全員一致（コンセンサス）方式の方が望ましいかもしれない（コンセンサスについて、そして、アナキストがコンセンサスを直接民主主義に対する現実的代替案だと思っていない理由については次のセクションを参照）。しかし、ほとんどのアナキストの考えでは、自由な組織内部での直接民主主義は、個人の自由・尊厳・平等というアナキズム原理と一致している、最良の（そして最も現実的な）組織形態なのである。</p>
<p>先ほども書いた通り、「意志決定の迅速さ」に難点があるようにも感じますが、大旨賛成できる主張である、とワタシは思います。</p>
<p>「コンセンサスは、直接民主主義に代わりうるのか？」</p>
<p>そろそろ疲れてすっ飛ばしたくなりますが（笑）、進めましょう。</p>
<p style="padding-left: 30px;">　自由な協同組織内部での直接民主主義を否定するアナキストは、一般に、コンセンサス方式の意志決定を支持するものである。コンセンサスは、決定を実行できるようにする前にグループの全員が合意していることを基礎とする。コンセンサスは、多数派が少数派を支配できないようにしているため、直接民主主義よりもアナキズム原理に一致している、と主張される。</p>
<p>これは一見、何となく理にかなった主張のように見えます。が……。</p>
<p style="padding-left: 30px;">　もっと理論的なレベルについて言えば、コンセンサスは、あらゆる対話が持つ最も活力ある側面、意見の相違（ディセンサス）を静めてしまった。継続的な異議は、少数派が大多数の意志決定に一時的に応じた後にも継続する情熱的な対話なのだが、退屈な独白－－そして、論駁のない、精彩の欠いたコンセンサスのトーン－－に置き換えられてしまったのだった。多数決意志決定では、敗北した少数派は自分が敗北した決定を覆そうと決意できる－－少数派は、論理的に考えられ、潜在的に説得力を持っている異議をオープンに一貫して声にすることができるのである。一方、コンセンサスの場合には、少数派を尊重せず、「コンセンサス」集団の形而上学的「統一」の利益となるように、少数派を黙らせるのである。["Communalism: The Democratic Dimension of Anarchism", Democracy and Nature, no. 8, p. 8]</p>
<p>これは目から鱗でした。</p>
<p>確かに、コンセンサス方式（満場一致）方式では「論駁のない、精彩の欠いたコンセンサスのトーン」によって、少数意見は覆い隠されてしまいますね。</p>
<p>ある種の国会決議で「満場一致」になった時に流れる微妙な空気の正体は、これだったのか。</p>
<p style="padding-left: 30px;">　ブクチンは、『お互いに徹底的に知りあっている人々の小集団内での意志決定形態として適切だと見なすことができる、ということは否定』していない。だが、実際問題として、彼の経験が示したのは次のことだった。『より大きな集団がコンセンサスによる意志決定をしようとすると、知的に最低の共通見解にしか到達せざるを得なくなるものだ。大規模な民衆集会が達成できる、最小限の論争しか巻き起こさない、最も凡庸な決定が採用される－－それは、正に、誰もがそれに同意するか、さもなくば、その議題に投票するのを止めるかのどちらかしかないからなのである。』[前掲書, p. 7]</p>
<p>「知的に最低の共通見解にしか到達せざるを得なくなるものだ。……最も凡庸な決定が採用される」というのは、確かにある種の「満場一致」の時に起きる事態を端的に表現しているように感じます。</p>
<p>「アナキストは個人主義なのか、それとも集団主義なのか？」</p>
<p>正直、「どっちでも良いだろう」と言いたくなりますが（笑）。押さえて進めます。</p>
<p style="padding-left: 30px;">　アナキストにとって、「集団」や「より大きな善」のために個人を犠牲にすべきである、という考えほどバカバカしいものはない。集団は個人から成り立っている。もし人々が集団にとって最良のことしか考えないのだとしたら、集団は生命のない抜け殻になってしまう。集団に生命を与えるのは、集団内での人間のダイナミックな相互作用に他ならない。「集団」は考えることはできない。個人だけが考えることが出来る。皮肉にも、この事実によって、権威主義的な「集団主義者」は最も特殊な「個人主義」へと、つまり「個人崇拝」と指導者信仰へと導かれる。当然のことだ。こうした「集団主義」は、個人を幾つかの抽象的集団に分類し、個性を否定し、最終的に、決断を下すだけの充分な個性を持った人を必要とするのだから。問題は指導者原理によって「解決される」というわけだ。スターリン主義とナチズムがこの現象の良い例である。</p>
<p>うん～。これは思ったより大きな魚が出てきました。ナチズムの前にスターリン主義が挙げられているのがなんだかほほえましいですが、笑って読める一文ではありませんね。</p>
<p>集団を形作る「個人」がダイナミズムを発揮せず、「集団」に帰依するなら、集団は抜け殻となり、そこにある種の個性を持った個人が滑り込み、個人崇拝へとなだれ込む。</p>
<p>この辺りの構造を、オーム真理教の内部から外部を見たドキュメンタリー『Ａ』『Ａ２』を撮った森達也監督は「主語」をキーワードに語っていました。つまり「今話してる“主語”は自分か？　空虚な集団か？」。昔から「我々はぁっ」と語るヤツが嫌いだったワタシ（笑）は、非常に納得できる話しです。まぁ、気をつけて使ってますが、ワタシも「ワタシ達」と書いてますけどね <img src='http://www.lunarflake.com/xoops/modules/XPressME/wp-includes/images/smilies/icon_razz.gif' alt=':-P' class='wp-smiley' />  。</p>
<p style="padding-left: 30px;">　抽象的個人主義を基礎にした社会では、契約する個人間の権力の不平等を生む。その結果、権威が必要だとされる。この権威は、個人に優越する法に基づき、個々人間で交わされた契約の履行を組織的に強制する。この帰結は資本主義を見れば明らかであり、最も顕著に現われているのは、国家がどのように発展するのかを説いた「社会契約」理論である。この理論では、個人が「自由」なのは、互いに孤立している時だとされる。なぜなら、それが元来の「自然状態」だからだという。社会に加わると、個人は「契約」を創り、それを執行させるための国家を創るというわけだ。しかし、現実に何の根拠もない幻想はともかく（人類は常に社会的動物であった）、この「理論」は、現実には、国家が社会に対して広範な権力を持っていることを正当化しているのである。そして、次には、強力な国家を必要とする資本主義システムを正当化する。同時にこれは、この理論の基盤となっている資本主義経済関係の結論とそっくりである。資本主義では、個人はお互いに「自由に」契約を結ぶ。しかし、実際には、契約が実施されている限り、所有者が労働者を支配するのである（詳細はセクションA.2.14とセクションB.4を参照）。</p>
<p>ふふふ（笑）。この引用文はチョッと笑えました。</p>
<p>なぜなら、「社会契約」 理論とは、ホッブスの『リバイアサン』で展開されている理論だからです。</p>
<p>『リバイアサン』は、「国家」の猛威を怪物に見立てて書かれたもので、ある意味、アナキストと同じモノを「敵」とみなしているのですが、その「前提条件」は真逆と言って良い程、遠く隔たっています。</p>
<p>それもそのはず、アナキズム的色彩の濃かった「パリ・コミューン」を含む、フランス革命の猛火を見ながら、イギリスで書かれたのが『リバイアサン』なのです。</p>
<p>まぁ、お互い犬猿の仲になるというものですね（笑）。</p>
]]></content:encoded>
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		<title>『アナキズムFAQ』読解 第４回「A.2 アナキズムは何を主張してのいるか？（2/5）」</title>
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		<pubDate>Mon, 22 Aug 2011 09:47:56 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Ｓａ－Ｑ</dc:creator>
				<category><![CDATA[その他]]></category>
		<category><![CDATA[全記事]]></category>

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		<description><![CDATA[うがっ。下書きのまま「公開」にするのを忘れてました 。 さて、「アナキズムは何を主張してのいるか？」２回目ですが、今回は盛りだくさんです。 「アナキストは「無制限の」自由を認めるのか？」 「何故、アナキストは平等を支持す [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>うがっ。下書きのまま「公開」にするのを忘れてました <img src='http://www.lunarflake.com/xoops/modules/XPressME/wp-includes/images/smilies/icon_redface.gif' alt=':oops:' class='wp-smiley' />  。</p>
<p>さて、「アナキズムは何を主張してのいるか？」２回目ですが、今回は盛りだくさんです。</p>
<p>「アナキストは「無制限の」自由を認めるのか？」<br />
「何故、アナキストは平等を支持するのか？」<br />
「何故、アナキストにとって連帯が重要なのか？」<br />
「何故、アナキストは自己解放を主張するのか？」<br />
「ヒエラルキーに反対しなくてもアナキストになれるのか？」<br />
「アナキストはどのような社会を望んでいるのか？」</p>
<p>の６つのセクションについて論じます。</p>
<p>「アナキストは「無制限の」自由を認めるのか？」</p>
<p style="padding-left: 30px;">　権威の行使は自由ではない。誰も他者を支配する権利など持ってはいない。マラテスタは指摘している。アナキストが支持するのは『万人の自由である。そのただ一つの制限は、他者にとっても等しい自由でなければならないということである。搾取・抑圧・命令の「自由」を認めることも、尊重したいとも思わないのだ。そんなものは抑圧であって自由ではない。』[Errico Malatesta: His Life and Ideas, p. 53]</p>
<p>まぁ、当たり前のことですね。</p>
<p>ちなみに、誰かが「無制限の」自由を行使出来ないようにするために、現在の社会システムでは最小限の「暴力装置」がどうしても必要だとワタシは考えています。この考えは「アナキスト」としては異端、というか既に「アナキスト」ではない、と大部分のアナキストは考えるでしょう。</p>
<p>「条件付きアナキスト」と私が自身を規定するのはそのためですが、それがまやかしだという批判があるとすれば、その批判は甘んじて受けます。が、現在の複雑化した社会システムの中では、ワタシの信条は「条件付きアナキスト」としか呼びようがないのでそう呼んでいます。「現在の複雑化した社会システム」という前提条件が別の前提条件に転嫁できれば、ワタシは純正の「アナキスト」で有り得るかも知れないし、また別の立場を取ることになる矢も知れません。</p>
<p>「何故、アナキストは平等を支持するのか？」</p>
<p style="padding-left: 30px;">　アナキストは「才能の平等」など信じてはいない。実際に存在しないというだけでなく、仮にあり得たとしても、少しも望ましくはないのである。人は誰でも唯一の存在である。生物学的に決定された人間の相違は、単に存在するというだけではない。『それは恐怖や悲しみの原因ではなく、喜びの原因なのである。』何故か？『クローンに囲まれた人生など生きるに値しない。正気の人間なら、自分が持たない能力を他者が持っていることを喜ぶものだ。』[Noam Chomsky, Marxism, Anarchism, and Alternative Futures, p. 782]</p>
<p style="padding-left: 30px;">アナキストが自由を求めているのである。万人が違っていることを認め、ひいては、唯一性の十全な主張と発達を求めているが故に、アナキストは平等を求めている。このように述べる方がより偏見がないと言えよう。<br />
　アナキストはいわゆる「結果の平等」を支持してはいない。誰もが同じ物を持ち、同じような家に住み、同じ制服を着るといった社会に生きることなど全く望んでいない。アナキストが資本主義と国家主義に反抗する理由の一部は、それらが生の大半を規格化してしまうからである。</p>
<p>これは、「機会の平等」と「結果の平等」との対比を述べていますね。「クローンに囲まれた人生」、「誰もが同じ物を持ち、同じような家に住み、同じ制服を着るといった社会に生きること」等、「結果の平等」の持つキモチワルさを端的に表しています。</p>
<p>「ファシスト独裁社会」と、ある時期までの「共産主義社会」との奇妙な同一性は、この「結果の平等」のキモチワルさを共有しているのだと思っています。</p>
<p>しかし……</p>
<p style="padding-left: 30px;">　アナキストにとって、「結果の平等」や「才能の平等」としての「平等概念」は意味がない。しかし、ヒエラルキー社会では、「機会の平等」と「結果の平等」は関連している。例えば、資本主義の下では、それぞれの世代が手にする機会は、以前の世代の結果に依存する。つまり、資本主義の下では、大雑把な「結果の平等」（収入と資源という意味で）なくして「機会の平等」は意味をなさないのだ。億万長者の子供と道路清掃人の子供との間には真の機会の平等などないからである。以前の結果が創り出している障害物を無視しながら、「機会の平等」を唱える人は、自分が何を語っているのか分かっていないのである。ヒエラルキー社会における機会は、進路がオープンかどうかだけでなく、スタート地点が平等かどうかにも依存するのである。この明らかな事実から、アナキストが「結果の平等」を望んでいるという誤解が生じている。しかし、このことはヒエラルキー型システムには当てはまるが、下記に見るように、自由社会には当てはまらない。</p>
<p>これは重要な指摘だと思います。「ヒエラルキー社会」という前提条件があれば、機会の平等」と「結果の平等」は関連している、という結論が導き出されます。</p>
<p>欧米では「機会の平等」が重視されるようになってきていますが、これは勿論、この議論を踏まえて「進路がオープン」克つ「（資本の）初期手持ち量（つまりスタート地点）」の二つが担保される事を意味しています。この事については、また後に触れる機会があるでしょう。</p>
<p>「何故、アナキストにとって連帯が重要なのか？」</p>
<p style="padding-left: 30px;">　全てのアナキスト同様、プルードンは、こうした職務の統合を平等と自由に対する鍵だと見なし、それを達成する手段として自主管理を企図していた。つまり、自主管理が社会的平等の鍵なのだ。例えば、仕事場における社会的平等は、仕事場をどのように発展させ変化させるかに関する方針の決定に平等な発言権を皆が持っているという意味である。アナキストは「万人に影響することは、万人が決める」という格言を強く支持しているのである。<br />
　これはもちろん、専門家を無視するとか、誰もが全てを決定するといった意味ではない。専門家について言えば、人々はその関心も才能も能力も異なるのだから、異なる勉強をして異なる仕事を行おうと思うのは当然である。これも当然のことだが、病気になったときは医者－－つまり専門家－－に診てもらうわけで、その医者にしても、自分の仕事について委員会から指図されるのではなく、自分で管理している。こんなことをわざわざ言わなければならないのは残念だが、社会的平等や労働者自主管理の話題になると、必ずナンセンスな横槍を入れる人がいるのだ。社会的に平等なやり方で管理された病院で、医者が手術をどのように行うべきかシロウトが投票で決めるわけがない。そんなこと当り前じゃないか！</p>
<p>このFAQを読んでて不思議なのは、「資本家」VS「労働者」の構図が繰り返されるのは良いとして、なぜ「労働者」に「ブルーワーカー」の臭いがつきまとうのか、という点です。「アナキズム」が「社会主義」の一形態というなら、それも納得できます。が、私の思うところでは、「アナキズム」はもっと自由で広がりのある概念ではないかと思っています。</p>
<p>と、それはおいとくとして。上記引用部分はアナキスト的「連帯」組織についての「奇妙な横やり」を述べた部分です。端的に表しているのは、「病院で、医者が手術をどのように行うべきかシロウトが投票で決めるわけがない。」という部分ですね。まったくそんな事は有り得ません。当たり前のことですね。そんな横やりを入れるようなヤカラは余程頭が悪いとしか思えません <img src='http://www.lunarflake.com/xoops/modules/XPressME/wp-includes/images/smilies/icon_razz.gif' alt=':-P' class='wp-smiley' />  。</p>
<p>「何故、アナキストは自己解放を主張するのか？」</p>
<p style="padding-left: 30px;">　人間の最も気高く純粋な真実の愛は自己愛である。私は自由になりたい！私は幸せになりたい！私は世界のあらゆる美を鑑賞したい。だが、私の自由が確保されるのは、周りの人々が皆自由である時だけだ。私が幸福になるのは、周りの人皆が幸福な時だけだ。出会う人、目にする人皆が喜びに満ちた目で世界を見ている時にのみ、私は嬉しい。そして、他の人も私と同じように腹一杯食べていると確信して初めて、私も純粋に喜んで腹一杯食べることができる。だからこそ、自分の自由と幸福を脅かすあらゆる危険に抵抗することは、自分自身の満足の問題なのであり、自分自身の自己の問題でしかないのだ。[Ret Marut (a.k.a. B. Traven), The BrickBurner magazineより。Karl S. Guthke, B. Traven: The life behind the legends, pp. 133-4で引用。]</p>
<p>この部分、宮沢賢治の思想を彷彿とさせるものがあります。しかし、気をつけなければいけないのは、宮沢賢治の思想の一部は国粋主義的色彩の強い「国柱会」から来ていることです。「国粋主義的団体に所属したから、宮沢賢治は危険だ」とか馬鹿なことを言うつもりは、ワタシには更々ありません。ただし、どういう文脈から宮沢賢治独特の思想が生まれたか、それを踏まえなければ何も実りある議論に結びつきません。</p>
<p>以前に、アメリカの「グラスルーツ保守」とアナキズムとの近縁性については触れましたが、意外とアナキズムと「下からの保守」とは似たところ、共闘出来るところが多いと感じます。</p>
<p>ただし、引用部分をベタに信じることは複雑化した社会システムの中で生きるワタシには出来ません。そんなことをすれば、「熱いシャワーを浴びて、空調の効いた部屋で『南北問題』（国家間の貧困格差問題）の本を読み、『これは問題だ』と呟く」、そういう種類の怠落に陥るからです。そう、ワタシ達の大半は、明日の食べ物の心配をせずに済み、右肩上がりの成長とはいかなくても、それなりの経済大国に住み、その恩恵をフルに受けているのです。</p>
<p style="padding-left: 30px;">　協力について考える時、私たちはこの概念を漠然とした理想主義に結びつけがちである。これは協力を利他主義と混同しているからだろう。組織的な協力は、ありふれた利己主義‐利他主義という二元論に挑む。物事は、人を助けることによって同時に自分自身をも助ける、といったようにお膳立てされているのだ。たとえ最初の動機が利己的なものだったとしても、今では私たちの運命は繋がっている。私たちは沈むのも泳ぐのも一緒なのである。協力は、賢くて成功率の高い戦略である。職場や学校で何かをする時に、競争するよりも効率の良い実用的な選択なのである。同時に、協力すればお互い仲良くなるし、精神衛生的にも好ましいという充分な証拠もあるのだ。[No Contest: The Case Against Competition, p. 7]</p>
<p>「ありふれた利己主義‐利他主義という二元論に挑む」といっても、このままでは論拠が薄弱な気がしますが、これも重要な論点になることでしょう。「最初の動機が利己的な物だったとしても」、アナキズム的協力組織ではそれが全体の利益になり得る。</p>
<p>これは、「アナキズム的協力組織」以外でも当てはまる事だと思いますが、「アナキズム的組織」においては、より効率よくこの循環が回る、ということだろうか。後にまた議論になりそうなので、ここではこれ以上はおいておきます。</p>
<p>「ヒエラルキーに反対しなくてもアナキストになれるのか？」</p>
<p style="padding-left: 30px;">　本質的に、自由が与えられるなどあり得ない。個人が他人から自由にしてもらうなどあり得ない。自分の鎖は自分の努力で断ち切らねばならない。もちろん個人の努力は集団行動の一部になるかもしれず、多くの場合、目的を達成するためにはそうしなければならないものだ。</p>
<p>「個人が他人から自由にしてもらうなどあり得ない。」全くその通り。後に議論になると思いますが、「与えられた自由」は、本質的には「型にはめられる自由」、「あなたが&lt;自由&gt;に所有される」事ではないかと考えています。</p>
<p>「ヒエラルキーに反対しなくてもアナキストになれるのか？」</p>
<p style="padding-left: 30px;">　首尾一貫したアナキストならば、あらゆる形態のヒエラルキーに敵対しなければならない。資本主義企業に対してもそうだ。そのようにしないのであれば、「アーキー　archy」を支持しているのである－－定義上、アナキストが支持することなど出来はしないのだ。言い換えれば、アナキストにとって、『服従する約束・（賃金）奴隷の契約・隷属状態の受け入れを必要とする合意、これらは全て不当である。個人の自律を制限し抑制するからだ。』[Robert Graham, "The Anarchist Contract", Reinventing Anarchy, Again, Howard J. Ehrlich (ed.), p. 77] 従って、ヒエラルキーはアナキズムの原動力となっている基本原理に反しているのである。ヒエラルキーは私たちを人間たらしめていることを否定し、『人間の最も根本的特徴である人格を剥奪する。個人は、自分の私的生活を管理するだけでなく、その最も重要な文脈－－社会情況－－に取り組む力量を持っているという正にその概念を否定しているのである。』[Murray Bookchin, The Ecology of Freedom, p. 129]</p>
<p>前にも書いた通り、ワタシは「ヒエラルキー」に由来する権力の弊害には全力を持って抵抗します。ですが、何度も書く通り、「複雑化した現代の社会システム」においては、一足飛びに全ての「ヒエラルキー」を破壊する事はまずもって不可能。更に言えば、先にも書いた通り、「日本」という、非常に恵まれた国に生を受けたワタシ達は、意図せずとも「ヒエラルキー」の恩恵を受け続けている。この矛盾をどう解くのか。そのヒントも手に入れられない間は、ワタシは批判を甘受する覚悟で「条件付きアナキスト」である、と何度でも表明します。</p>
<p>「アナキストはどのような社会を望んでいるのか？」</p>
<p style="padding-left: 30px;">　アナキズム社会において、協同組織は全員参加の大衆集会が運営することになろう。民衆集会は、平等者の間での包括的な議論・討議・協力的対立に基づく。様々な委員会も選出されるが、それは純粋に管理上の職務だけを行う。委員会はを構成するのは代理人である。代理人は、その職務を命じられ、リコール可能で、暫定的で、その職務遂行は、自分を選んだ集会によって監視される。つまり、アナキズム社会では『自分のことは自分で世話し、その事柄をどうするかを決めることになろう。考えを行動に移すためには誰かがその計画を管理しなければならないが、我々はその人に斯く斯く然然のやり方でそれを行い、それ以外のやり方では行わないように伝えるのである。我々の決定がなければ、何事も行われないわけだ。つまり、我々の代理人は、命令する権利を与えられた人々ではなく、権威を全く持たず、参画している誰もが行って欲しいと思っていることを行う義務のみを持つ人々なのである。』[Errico Malatesta, Fra Contadini, p. 34] もし代理人が命じられた職務に反して行動したり、集会の決定以上に自分の影響力を拡大しようとしたり、集会が決めた仕事を以上のことをしようとした場合（つまり、代理人が政治的決定をし始めた場合）は、ただちにリコールされ、代理人が行った決定は白紙に戻される。このようにして、組織は、それを創った個人の合同組織の手中に保持されるのである。</p>
<p>これはチョッと面白いですね。アメリカの大統領選挙の「選挙人」制度と似たところがある。</p>
<p>しかし、重要なのは底辺のアナキズム的組織の意志決定法である「直接民主制」を担保する「自分で考え、行動し、結果に責任を持」てる人間というのは、本当に少数だろう、という点です。この「アナキズムＦＡＱ」では常に見落とされているように感じます。</p>
<p>ではどうすべきか。</p>
<p>それは「教育」によって何事も「考えに所有される」事なく、「自分で考える」行為態度を埋め込む、しかないように思います。</p>
<p>しかし、それも今の日本では非常に難しいでしょう。さて、どう乗り切るのか＞アナキスト達</p>
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		<title>『アナキズムFAQ』読解 第３回「A.2 アナキズムは何を主張してのいるか？（1/5）」</title>
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		<pubDate>Sat, 13 Aug 2011 12:21:36 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Ｓａ－Ｑ</dc:creator>
				<category><![CDATA[その他]]></category>
		<category><![CDATA[全記事]]></category>

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		<description><![CDATA[さて、先は随分長そうですが 、さっそく読解に入ります。 数えてみると「A.2」セクションだけで５ページに渡ります 。今回取り上げるのは、その中の、「 アナキズムのエッセンスは何か？」、「何故、アナキストは自由を強調するの [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>さて、先は随分長そうですが <img src='http://www.lunarflake.com/xoops/modules/XPressME/wp-includes/images/smilies/icon_razz.gif' alt=':-P' class='wp-smiley' />  、さっそく読解に入ります。</p>
<p>数えてみると「A.2」セクションだけで５ページに渡ります <img src='http://www.lunarflake.com/xoops/modules/XPressME/wp-includes/images/smilies/icon_exclaim.gif' alt=':!:' class='wp-smiley' />  。今回取り上げるのは、その中の、「 アナキズムのエッセンスは何か？」、「何故、アナキストは自由を強調するのか？」、「アナキストは組織を容認するのか？」です。</p>
<p style="padding-left: 30px;">アナキストは「自由」を最優先し、自己と他者双方にとっての自由を希求している。また、個性－－それは人を唯一者にする－－を、人間性の最も重要なことだと考えている。しかし、アナキストは、個性は真空状態に存在するのではなく、社会的現象だと認識している。社会なくして個性はありえない。なぜなら人が発達し、拡充し、成長するには他者が必要だからだ。<br />
　さらに、個人の発達と社会発展の間には、相互関係がある。個人は社会の中で成長し形作られるが、同時に、個人の思考や行動が（自己や他者だけでなく）社会の様々な面を形成し、変化させるのである。自由な個人・その希望・夢・思想に基づかない社会は、空虚であり死んでいる。『人間の形成は、集団的プロセスである。地域社会と個人双方が参加するプロセスなのである。』[Murray Bookchin, The Modern Crisis, p.79]</p>
<p>後に議論される事になると思いますが、ここで重要なのは「アナキズムは『個性』の発達のために社会を必要としている」点です。</p>
<p>勿論、ここで言う「社会」とはヒエラルキー形の「社会」ではありません。ではどんな社会組織でしょうか。</p>
<p>引用箇所の順番が入れ替わりますが、こう述べられています。</p>
<p style="padding-left: 30px;">　アナキストにとって自由とは、個人やグループが自主管理を実践する－－つまり自分たち自身を自分たちで統治する－－非権威主義社会を意味する。これは重要なことを意味している。第一に、アナキスト社会は強制的ではない、つまり個人に何かを行ってもらうことを「納得させる」のに暴力や暴力をちらつかせた脅かしがないということを意味している。第二に、アナキストは個人の主権を断固として支持しており、これを支持するからこそ、強制的権威に基づく制度（つまりヒエラルキー）に反対する、ということを意味している。最後に、アナキストは「政府」反対しているが、それは中央集権型・ヒエラルキー型・官僚制度型の組織や政府に反対しているだけだ、ということを意味している。「代表者」に権力を委任せずに、直接民主主義に基づいている限り、権力分散型の草の根組織からなる連邦を通じた自治政府には反対していない（アナキストの組織についてはセクションA.2.9を参照）。権威は自由の敵であり、権力の委任に基づく組織はいかなるものであれ、その権力に支配される人々の自由と尊厳に脅威を与えるからだ。</p>
<p>「権力分散型の草の根組織からなる連邦を通じた自治政府」……。人間が「文明」を形作って「社会生活」を行うようになって以降、このような社会は一度も実現したことがないでしょう。だからといって即座に否定する気は、ワタシには更々ありませんし、それが理想だとも思いますが、「自分たち自身を自分たちで統治する」、あるいは「自分で考え、行動し、結果に責任を持つ」事が出来るのは、ごく少数の人間だと思います。現代の複雑化した社会では、特に難しい。ではどうするか。については後に議論する事になると思います。</p>
<p>ちなみに、この「権力分散型の草の根組織からなる連邦を通じた自治政府」に一番近いのが、ギリシャ時代だったかと思います。しかしそれも、奴隷階級（といっても、単に「参政権を持たないが、賃金はもらえる労働者」に近いものだったそうですが）が家内制手工業の労働力の上に乗っかった家長達によるものでした。その意味では「平等」（これもアナキズムにとって重要な概念です）では無かった。</p>
<p style="padding-left: 30px;">　人生の十全な意義を手にするためには、協力しなければならない。協力するためには、仲間と合意しなければならない。そうした合意を自由の制限だと考えるなど、まったくバカげている。逆に、それは自由を行使することなのだ。<br />
　合意することは自由を損なうというドグマをでっち上げれば、自由はただちに暴君と化す。そのドグマは、日常のささやかな楽しみさえ禁じかねない。例えば、自由の原則に反するとして、友達と散歩に行くことさえできなくなる。なぜなら、友達と散歩するためには、いつ、どこで待ち合わせるかを友達と合意しなければならないからだ。全て自分一人でできること以外には、手を出せなくなってしまう。それ以上のことをしようとするなら、誰かと協力しなければならず、協力することは、他人と合意することを意味し、それは自由に反することになるからだ。この主張がバカげていることは一目瞭然だろう。友達と散歩に行くことに同意するときには、自分の自由を制限しているのではなく、単に自由を行使しているだけのことなのだ。<br />
　逆に、自分の優れた知識から、友人は運動した方が良い、友人を散歩に連れていってやろう、と決めたとすれば、自由を制限し始めたことになる。これが自由合意と支配との違いなのだ。[Objections to Anarchism, pp. 348-9]</p>
<p>つまり、「直接民主主義」下での「自由」とはいかなるものか、と言うことですね。決してホッブスの言う「自然状態」、つまり「万人の万人に対する闘争」ではなく、「合意」に基づく「協力」こそ真の自由であり、また前段で述べた「権力分散型の草の根組織からなる連邦を通じた自治政府」の前提条件でもある、という事だと思いました。この辺、ホッブスの議論が「人工的」と評されるのと同じく、「人工的」な印象を禁じ得ませんが、本当の意味での「草の根組織」から始めるボトムアップを考える上では、「合意」というのは非常に重要な「自由の行使」かもしれません。</p>
<p style="padding-left: 30px;"> 言い換えれば、私たちは、実質的に全ての組織が権威主義、という社会に生きており、それ以外の組織形態などあり得ないように思っているわけだ。見過ごされていることが多いものだが、この種の組織は歴史的に形成され、支配と搾取をその原動力としている特殊な社会の中で発生したのである。考古学者や人類学者によれば、この種の社会は、奴隷の労働が剰余を生み出し、それが支配階級を養うという征服と奴隷制に基づいた最初の原始的国家と共に出現した。せいぜい五千年間存在しているに過ぎないのだ。</p>
<p>「せいぜい五千年間存在しているに過ぎない」ということは、先ほど述べたように、やはり人間が「文明」を作るようになってから「組織」は「権力」と切っても切れない中となったのでしょう。</p>
<p>ワタシの「条件付きアナキズム」とは「権力・暴力装置の必要性は認めるが、それらのなす害を最小化すること」ですが、これは現代の複雑化した国家・社会構造が前提条件です。</p>
<p>現代において、「実質的に全ての組織が権威主義、という社会に生きており、それ以外の組織形態などあり得ないように思っている」事は、ある意味仕方が無い事だと考えています。が、前提条件が違えば、ワタシの考える「条件」も変わってくることでしょう。</p>
<p style="padding-left: 30px;">　だが、強調しておくが、アナキストは「石器時代に帰れ」と主張してはいない。ヒエラルキー－権威主義型の組織は、人間の社会進化過程で比較的最近に現われたものであって、それがどういうわけだか永久に「運命づけられている」と考える理由などない、と言いたいだけである。人間の権威主義的・競争的・攻撃的な行動が、遺伝的に「プログラムされた」ものだなどと思わないし、その主張を裏付けるハッキリした証拠もない。逆に、それは社会的に条件づけられ、学習されたものなのである。だから、学習しないことだってできるはずだ（Ashley Montagu, The Nature of Human Agression を参照）。私たちは運命論者でも遺伝学的決定論者でもない。人間の自由意志を信じている。自由意志とは、人は自分が物事を行うやり方を変えることができる、という意味だ。社会を組織するやり方だって変えることができるのだ。</p>
<p>「せいぜい五千年間の存在」とはいえ、五千年間は長い。宮台真司氏流に言えば「悪い共同体の悪い心の習慣（悪いエートス）」が定着するには十分に長い時間でしょう。</p>
<p>これを打ち破るには、相当な破壊力が必要かと思います。</p>
<p>先に書いた「自分で考え、行動し、結果に責任を持つ」事が出来るのは、ごく少数の人間である、と言うことは、五千年間の重荷をはね除けられる人間、と言うことになります。</p>
<p>こういう種類の人間が（アナキストに限らず）多数派になることは、余程のことがない限り難しいでしょう。</p>
<p>それに、「日本固有の問題」として、「空気」の同調圧力というものとも戦わねばならない。日本のアナキストは「ヒエラルキー」と「空気による同調圧力」と二正面の戦線で戦わねばならない。それはとてもしんどいことだと思っています。</p>
<p>「空気」については、また機会を改めて議論したいと考えています。</p>
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		<title>『アナキズムFAQ』読解 第２回「A.1 アナキズムとは何か?」</title>
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		<pubDate>Fri, 05 Aug 2011 13:23:18 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Ｓａ－Ｑ</dc:creator>
				<category><![CDATA[その他]]></category>
		<category><![CDATA[全記事]]></category>

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		<description><![CDATA[さて、誰も読んでないかも知れませんが 、アナキズムを巡る旅路の第２回です。 が、正直、今回の内容はワタシの政治信条とは微妙なズレが多かった気がします。 とはいえ、まずは主張を読んで、理解しなければ、反論も何も始まりません [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>さて、誰も読んでないかも知れませんが <img src='http://www.lunarflake.com/xoops/modules/XPressME/wp-includes/images/smilies/icon_lol.gif' alt=':lol:' class='wp-smiley' />  、アナキズムを巡る旅路の第２回です。</p>
<p>が、正直、今回の内容はワタシの政治信条とは微妙なズレが多かった気がします。</p>
<p>とはいえ、まずは主張を読んで、理解しなければ、反論も何も始まりません。ということで、「A.1 アナキズムとは何か?」を読んでみました。</p>
<p style="padding-left: 30px;">　アナーキーという言葉はギリシャ語に由来し、本質的には「支配者がいない」ことを意味する。アナキストは、あらゆる政府形態や強制的権力、あらゆるヒエラルキーや支配の形態を拒絶する人々である。従って、メキシコのアナキスト、フローレス＝メーゴンが、国家・資本・教会の「邪悪な三位一体」と呼んだものに反対しているのである。だから、アナキストは、資本主義と国家に反対するだけでなく、あらゆる宗教権力形態にも反対なのである。しかし、アナキストは同時に、様々な手段を使って、アナーキーの状態を確立したりもたらそうとしたりしている。アナーキーの状態とは、抑圧的諸制度のない分権型社会、自発的結びつきの連合を通じて組織された社会なのである。["Anthropology and Anarchism," pp. 35-41, Anarchy: A Journal of Desire Armed, no. 45, p. 38]</p>
<p>ここで「教会」（宗教）が入ってくる事に、まず違和感を感じた貴方。そう、あなたは「日本人」です（笑）。ここで触れられているのは、間違いなく（カトリック、各正教、プロテスタントを問わず）キリスト教、あるいはユダヤ教のような「一神教」を指すものと思われます。</p>
<p>亡くなられた小室直樹先生が「『宗教』を持たない限り、日本人は『憲法』を書けない」と喝破されてました。その理由についてはここでは省きますが、今回、後に触れる「抑圧されているが故の自由への希求」に関わるかも知れませんし、あるいは「神と向かい合う個人」としての自省的態度を持ち得ない、という事もあるかも知れません。</p>
<p>　アナーキーはカオスを意味するものではないし、アナキストはカオスや無秩序を希求しているのではない、ということをはっきり言っておかなければならない。そうではなく、私たちは、個人の自由と、自発的な協力に基づく社会を作りたいと考えている。言い替えれば、権力からのトップダウンによって負わされる無秩序ではなく、ボトムアップによる秩序を求めているのである。</p>
<p style="padding-left: 30px;">　よって、アナキズムは、アナーキー、つまり「支配者がない」という原則に基づいた社会の建設を提唱する政治思想なのである。そのため、『社会主義者と同じように、アナキストも次のように考える。土地・資本・機械の私的所有の時代は終わった。私的所有は消え去る運命にある。生産に必要な手段は社会の共有財産となり、生産者の手によって運用されなければならない。政府の機能は必要最小限に縮小するのが、社会の政治組織として望ましい在り方である。社会の最終目的は、政府の機能をゼロにもっていくこと、すなわち、政府のない社会、アナーキーまでもっていくことである。』[Peter Kropotokin, 前掲書, p.46]<br />
　したがって、アナキズムはポジティブでもあり、ネガティブでもあるのだ。それは、現在の社会を分析・批判すると同時に、新しい社会のヴィジョン、現在の社会が否定している人間の欲求を最大限保証する社会ヴィジョンの可能性を示しているのである。こうした欲求とは、人間にとって最も基本的な自由・平等・連帯であるが、これらについてはセクションA.2で論じる。<br />
　アナキズムは批判的な分析を希望へと結びつける。バクーニンは「破壊への衝動は創造への衝動である」と指摘している。今の社会の悪い点を理解せずに、より良い社会の建設は出来ないのだ。</p>
<p>「今の社会の悪い点を理解せずに、より良い社会の建設は出来ないのだ。」というのは、全くその通り。誰もが認めることでしょう。</p>
<p>ただ、ワタシには一抹の不安が残ります。それは、「確かに前の社会は悪い点だらけだった。だが、かくかくしかじかの機能を有していた。この機能を失って、我々は悪い意味での『アナーキー』（カオス）に陥った」、ッてな事にならないように、悪いなりに、どのように社会を回していたのか、しっかり見極めておく必要があるのではないかと思います。</p>
<p>これはワタシ達にとって「他人事」ではなく、某「自民党をぶっ壊す」と言った党首がホントにぶっ壊してしまった時、目撃されたはずです。また、自民から民主への政権交代でも目撃されたはずです。</p>
<p>次ぎに、「生産に必要な手段は社会の共有財産となり、生産者の手によって運用されなければならない」という部分についてですが。</p>
<p>今のあまりに複雑化した社会で、「国家」のレベルでこれを成し遂げるのは、まず無理でしょう。あくまで「アナキズム」は「ボトムアップ」でなければならない。そう思います。</p>
<p>ところで、長くなるので引用は避けますが、「A.1.3 アナキズムはなぜリバータリアン社会主義とも呼ばれるのか？」の中で、面白い指摘がありました。</p>
<p>曰く、「リバータリアン社会主義」という言葉は、アナキスト達が19世紀から使ってきた言葉なのに、最近アメリカで台頭してきた「リバタリアン党」が、「アナキストは我々の『リバタリアン』を盗んだのだ」と主張している点。</p>
<p>こういう「剽窃」は社会思想ではよくある話しで、例えば「宗教的原理主義」とは元々はアメリカ等で見られる「キリスト教原理主義者」を指す言葉だったのが、いつの間にか「イスラム教原理主義者」を指すようになりましたね。</p>
<p>まぁ、どちらにしてもワタシは「原理主義者」はおもしろみがないので嫌いです <img src='http://www.lunarflake.com/xoops/modules/XPressME/wp-includes/images/smilies/icon_razz.gif' alt=':-P' class='wp-smiley' />  。</p>
<p style="padding-left: 30px;">　社会的アナキストと個人主義的アナキストでは、多くの問題で意見を異にしている。たとえば、自由市場(free market)が、自由(lieberty)を最大にする最高の手段なのかどうか、等だ。しかし、資本主義に反対であること、アナキストの社会は、賃金労働ではなく協同労働(associated labour)に基づかなければならないことの二点では、一致している。協同労働だけが、労働時間中の個人に対する圧力や外部意志の力を減らす。そのような労働の自主管理こそが、本当の社会主義の理想の姿なのである。この観点はジョセフ＝ラバディが次のように論じていたときにも見ることが出来る。労働組合は『組織を作ることで自由を獲得する良い例である。』そして、『組合無しには、労働者は、組合があるときよりも遙かに雇い主の奴隷になるのである。』[Different Phases of the Labour Question]</p>
<p>……まあ仰ることは分かりますよ。ええ。</p>
<p>実はここがワタシが最も違和感を覚えた点です。これも「日本的」だからかも知れませんが、日本の労働組合の体たらくを見ていると、「労働組合こそ、間違った権力の行使者」ではないかと常々感じています。</p>
<p>末端の組合員を顧みず、非・組合員の派遣労働者に対する視線は、いったい何なのだろう。これこそ「ヒエラルキー」ではないのか。あまつさえ、より上位の「ヒエラルキー」である国会に、自分達の議員を送り込もうと躍起になる。そりゃ、組織率も下がる、というものですね。</p>
<p>まだ言及したい部分はあるのですが、長くなりすぎるようなのでこの辺で（笑）。</p>
<p>今回、読んでみてあらためて思ったのは、やはり「ヒエラルキー」への闘争、という枠組みは、古いのではないかということでした。「ヒエラルキーへの闘争」が、大都市に飲み込まれて薄れ行く事は、部落解放運動について丹念に描き出した『<a title="近代の奈落" href="http://www.amazon.co.jp/dp/4344407407" target="_blank">近代の奈落</a>』（宮崎学著　幻冬舎アウトロー文庫）が良い参考書となるでしょう。</p>
<p>それと、やはり、欧米と日本の「文脈」、つまり歴史的経緯や文化などの違いですね。</p>
<p>これらについては、再度触れることがあるかと思います。</p>
<p>最後に。次回は「A.2 アナキズムは何を主張しているのか？」の前半（？　かなり長いので、何回に分けるかまだ決めてません）をお送りします。</p>
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		<title>『アナキズムFAQ』読解 第１回「イントロダクション」</title>
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		<pubDate>Sun, 31 Jul 2011 10:42:34 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Ｓａ－Ｑ</dc:creator>
				<category><![CDATA[その他]]></category>
		<category><![CDATA[全記事]]></category>

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		<description><![CDATA[ さて、Blog 放置プレイからの復帰に際して、何か「ネタ」が必要だと考えていたのですが、ここらで少し、ワタシ自身の「政治的信条」を振り返ってみる事を試みてみたいと思います。 「ネタ」としては、当サイトの「月の宇宙港」（ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p> さて、Blog 放置プレイからの復帰に際して、何か「ネタ」が必要だと考えていたのですが、ここらで少し、ワタシ自身の「政治的信条」を振り返ってみる事を試みてみたいと思います。</p>
<p>「ネタ」としては、当サイトの「月の宇宙港」（リンク集）に新たに加えた<a title="アナキズムFAQ 日本語訳" href="http://www.ne.jp/asahi/anarchy/anarchy/faq/" target="_blank">『アナキズムFAQ』の日本語訳</a>を使ってみたいと思います。</p>
<p>理由としては、知ってる人は知ってると思いますが、ワタシの「政治的信条」は「条件付きアナキスト」であると公言しているからです。</p>
<p>したがって、「アナキスト」とは何か。何故「条件付き」でその「条件」とは何なのか。それらを明らかにしていきたいと思います。</p>
<p>と、その前に、別の角度からワタシ自身の「政治的信条」をみえかしてみたいと思います。</p>
<p>以前にも紹介した事がありますが、「<a title="ポリティカルコンパスについて" href="http://sakidatsumono.ifdef.jp/political-compass.html" target="_blank">日本版 ポリティカルコンパス</a>」をツールにしてみたいと思います。やってみた結果ですが……。</p>
<ul>
<li>「政治的な右・左度(保守・リベラル度) -1.6」</li>
<li>「経済的な右・左度(市場信頼派・政府介入派) -3.89」</li>
<li>「あなたの分類は『リベラル左派』です。」</li>
</ul>
<p>まぁ、設問内容からしてこんなものでしょう（笑）。</p>
<p>さて、それでは本番の<a title="アナキズムFAQ 日本語訳" href="http://www.ne.jp/asahi/anarchy/anarchy/faq/" target="_blank">『アナキズムFAQ』の日本語訳</a>の読解に入っていきたいと思います。今回は「イントロダクション」を読み下します。</p>
<p style="padding-left: 30px;">　アナキズムは、これらの危機を包括的に理解する方法を提示する。それらに共通する根本原因を探ればよいのだ。この根本原因こそ、資本主義であるか「共産主義」であるかを問わず、文明社会の主な組織全てが持つ<strong>ヒエラルキー権力の原理</strong>なのである。したがって、アナキストの分析は、「現代の主な社会組織は、全てヒエラルキーの形態である」という事実から始めなければならない。会社・官庁・軍・政党・宗教団体・大学などは、ピラミッド構造のトップに権力が集中するように組織されている。このような、ヒエラルキーに内在する権力関係が、個人や社会・文化に対していかに悪い影響を与えるかを、これから示していきたいと思う。このFAQの前半(セクションA-E)では、ヒエラルキー的な権力とその害について、アナキストによる詳細な分析を示していく。</p>
<p>初っぱなから、「条件付きアナキズム」の「条件」に触れる内容です（笑）。</p>
<p><strong>「ヒエラルキー権力の原理」</strong>の弊害、については大いに認めるところです。しかし、全ての「権力の弊害」が「ヒエラルキー構造」による、とは(特に日本に於いて)ワタシは考えていませんし、そもそ、「権力」は、人間が集団生活を送る限り、必ず必要なものだと考えています（千年くらいたって、人間がある種の「精神文明」を樹立しているなら話は別だと思いますが（笑））。</p>
<p>多分、大多数のアナキストは、以上のような「権力・暴力装置」の必要性については、完全に否定することでしょう。</p>
<p>ワタシの言う「条件付き」の「条件」とは、まさにこの「権力・暴力装置」の必要性を認める、という内容です。</p>
<p>一方、「権力・暴力装置」の必要性を認めた上で、なぜ「アナキスト」とワタシ自身を規定しているのか。それは「権力・暴力装置」の必要性は認める。しかし、ホッブズの『リバイアサン』を引くまでもなく、それらは必ず「弊害」を伴う。ならば「権力・暴力装置」の必要性について認めた上で、その「弊害」を最小化すべき、と考えているからです。</p>
<p>以上のような信条からして、「FAQの前半(セクションA-E)では、ヒエラルキー的な権力とその害について、アナキストによる詳細な分析を示していく。」という文言は、是否読んでみたいところです。しかし、セクションA-E は、未訳の部分が多いのが残念ですね。</p>
<p style="padding-left: 30px;">　ここで注意したいのは、「アナキズムは、単なる否定的・破壊的な現代文明批判である」と考えるべきではないということだ。単なる否定ではない。一例をあげれば、アナキズムは自由な社会を提案している。エマ＝ゴールドマンは、「アナキストの課題」とでも呼ぶべきことを、次のように表現している。『今日、私たちが直面する問題は、他者と共にありながら、いかに自分自身になるかということ、全人類との共感を深く感じながら、なおかつ、自分の個性を失わずに保って行くにはどうしたらよいか、ということだ。』[<strong>Red Emma Speaks</strong>, pp.158-159]</p>
<p>「アナキズム」の最も誤解されている点は、実はここではないかと思います。「アナキスト」＝「無政府主義者」というのは、大いなる誤訳、ではないかと常々考えています。この点に関しては、後に詳しく議論することになると思われます。</p>
<p>後、「全人類との共感を深く感じる」ことは、ワタシ自身は「無理」と感じていますが、それが例え「ゼスチャー」であるとしても、目指すべき「理想」としては理解できます。</p>
<blockquote><p>　全てのアナキストは、皆、自由な社会を求めている。それは、自由な人間性の成長の前に立ち塞がる、強圧的な政治組織・社会組織からまったく自由になる社会なのである。[Rudolf Rocker, <strong>Anarcho-Syndicalism</strong>, p.16]</p></blockquote>
<p>これは、実は非常に興味深い指摘だと感じました。</p>
<p>それは、例えばアメリカ的なる保守、「グラスルーツ保守」とも通じる考え方ではないかと思っています。つまり、「自分達の事は自分達で解決する。お節介な政府の介入は断固拒否する」という、「グラスルーツ保守」の信条と相通じるところがある、と感じます。つまり、有る点に関しては、「アナキスト」と「グラスルーツ保守」と共闘できる可能性がある、ということです。</p>
<p style="padding-left: 30px;">　アナキズムは社会・経済・政治の理論（セオリー）なのであって、イデオロギーではない。この違いは<strong>とても</strong>重要である。基本的に、セオリーは「あなたが考えを持っている」ことを意味するのだが、イデオロギーは「あなたが考えに所有される」ことを意味している。</p>
<p>別に「アナキズム」に限りませんが、「イデオロギーは「あなたが考えに所有される」ことを意味している。」、この点は非常に重要な指摘ではないかと思います。日本においては、「セオリー」と「イデオロギー」の混同が大多数をしめている、と考えています。</p>
<p style="padding-left: 30px;">「あなたが考えに所有される」、つまり「考えに依存する」状態の人々が日本には多すぎる、と感じています。</p>
<p style="padding-left: 30px;">　このFAQを作って、「正解」や新しい「教典」を与えようという意図は、私たちにはない。私たちは、過去から現在までのアナキズムについて説明し、その現在の形態により多くの焦点を当て、今、なぜ<strong>私たち</strong>がアナキストになったかを説明するだけだ。このFAQは、あなた自身に自分で分析し・考えてもらうことが目的なのである。</p>
<p>「あなた自身に自分で分析し・考えてもらうことが目的なのである」……はい、精進させて頂きます <img src='http://www.lunarflake.com/xoops/modules/XPressME/wp-includes/images/smilies/icon_razz.gif' alt=':-P' class='wp-smiley' />  。</p>
<p>思ったよりだいぶ長くなりました。</p>
<p>さて、次週には「A.1 アナキズムとは何か？」を読み下したいと思います。……ッて、続くんかいな、ホンマに（笑）。</p>
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