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父として考える (生活人新書) (新書)
以下に僕が書いたあとがきをアップロードします。
書籍のものとは一部異なるところがあります。
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あとがき
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【成育環境の変化に対する敏感さ】
■NHK出版の大場旦氏から東浩紀氏との「父親同士の対談」の企画をいただいたとき、願ってもないことだと感じた。僕には三歳と零歳の二人の娘がいる。父親になって、以前にも増して「社会について言いたいこと」が出てきて、それを吐き出したかったからだ。
■僕は父がビール会社勤務で、当時のビール会社は転勤が多かったので、小学校を6つも通っている。東北大学附属小(仙台市、現在の宮城教育大附属)・鶴瀬西小(入間市)、松尾小(京都市)、山階小(京都市)、安朱小(京都市)、三鷹第六小(三鷹市)だ。
■それぞれ学校環境も生活環境も全く違ったので、自分で言うのも何だが、普通の大人よりも成育環境の差異には遙かに敏感だと思う。例えば教育方針を真に受ける大人が多いとすれば、僕は「教育方針・学校環境・生活環境」ワンセットで考える習慣が出来ている。
■加えて僕は、戦前から現在に至る日本のボップカルチャー史を研究分野の一つにしているのもあって、生活環境として家庭環境や地域環境に加えてメディア環境を数えるから、コンテンツや享受形式の変遷と、今述べたワンセットの変遷との関係にも、敏感である。
■一言でいえば、僕は日本の幼児教育や義務教育における(学校・家庭の)教育方針を抜本的に変えるべきだと思っていて、それが有効であるためには、学校環境や生活環境(家庭環境・地域環境・メディア環境)の全体的な改革が、不可欠であると思っているのだ。
■本文でも話題になる通り、東浩紀氏も僕も、研究分野は多岐に渡る。僕の研究分野の力点は、システム論→権力論→ポップカルチャー史→性愛論→宗教論→少年犯罪論→教育論→国家論→外交論→政治哲学という具合に、シフトしたというより積み重なって行った。
■実際、ここに上げた分野それぞれについて著作があるし、ツイッター上での僕の活動もそれぞれの分野についてなされている(一部はミヤダイ・ドットコムに纏められている。http://www.miyadai.com/)が、こうした活動は幼少期の成育環境抜きで考えられない。
■僕の娘たちは幼いが、僕はこのあきがき執筆時に既に51歳だから、幼保小段階の子供を持つ親たちの平均よりは、10歳~15歳は年上である。本書を読むこうした親たちの多くは、たぶん僕の成育環境を知らない。それどころか恐らく想像することもできない。
■子供から見た場合、成育環境がどれほど激変したのか。このことについて、まともに議論ができるのは、僕よりも上の世代とだけである。僕の同世代とさえ議論することが難しい。今と圧倒的に異なる成育環境を実際に体験していなければ、議論ができないからだ。
【1980年代から始まる法化社会の意味】
■まず身近な所から入ろう。妻と子供たちが毎日曜欠かさず通い、僕もときどき通う教会の御聖堂は少し前まで24時間鍵がかかっていなかった。『レ・ミゼラブル』を思い出していただきたいが、教会は夜でも鍵が掛かっていないからこそアジールであり続けてきた。
■ところが最近は夜に鍵が掛かるようになった。先日、神父様を僕らの家にお招きして食事をした際、神父様がこう仰言った。教会の本分ゆえに警察からの度重なる要求を拒絶してきたが、幾度か見過ごせない事件があり、要求に応じるしかなくなったのだ、と。
■神父様が続けた。欧米の多くの大学に塀がなく、道路にもガードレールがない。それで失われる人命があっても、人は敢えて設置者の責任を問わない。人と社会の関わりの意味が変わってしまうからだ。かつての日本社会もそのようにして回っていたはずだ、と。
■神父様はかつて千葉県の教会に幼稚園を併設した。何かというと設置者責任を問う住民(を背景にした行政)の声に抗って遊具の設置を含め昔ながらの幼稚園の姿を守ろうとした。だが教会は教区の下にある。一教会の意向だけでは抗いきれなかったと述懐された。
■僕は小2の4月から小6の9月まで、つまり小学校時代の大半を京都で過ごした。京都市内で松尾→山階→安朱と3つの小学校に行ったわけだ。京都での小学校時代はまさに昔ながらだった。疎水には暗渠も柵もなく、よく子供が落ちて溺れ死んだ。
■工事現場にも柵がないのが当たり前で、築山に穴を掘って秘密基地を作る子供が多く、時々崩れて子供が死んだ。どの児童公園にも例外なく箱ブランコがあって、底板と地面の間に足を挟んで骨折したり、箱に頭をぶつけて一生傷を作る子供が、絶えなかった。
■でも、暗渠化しろとか、柵を作れとか、遊具を撤去しろという話は、聞いたこともない。そういう災難があったとき、親や先生を含めた大人たちはどう言っていたのかというと、「だから、危ないって言ってたでしょ、何ぼやぼやしてるの」と子供を叱ったのだ。
■これがいつから変わったか。1977年あたりから変わった。この年、近所の家に子供をあずけたら、建設現場の池で溺れ死んだというので、近所の家と自治体と業者を訴えた「隣人訴訟」が起こった。訴訟は世論を分けたが、83年の地裁判決で原告はほぼ敗訴した。
■自治体にも業者にも責任はない。ちょっと子供を頼むというのも監護義務を負う契約ではない。被告側には一般的な注意義務を果たさなかった瑕疵はあるものの、原告側の過失よりもずっと小さい(原告:被告=7:3)とした。世論も原告批判が多数派だった。
■この事件は僕が大学生になった頃のことで覚えているし、僕の本でも幾度か取り上げた。原告家族は、非難や抗議の手紙や電話が殺到し、控訴審での訴えの取り下げに追い込まれたが、被告家族も、同様の理由で控訴審での訴えを取り下げた。これが転機だった。
■この訴訟を境に、我が国は法化社会に舵を切った。それまで社会が解決していた問題に、国家権力の呼出線が使われるようになった。だから危ないって言ってただろうと子供を叱るかわりに、住民が何かというと設置者責任を問うようになった。それから三十年。
【共同体と市場、共同体と国家の、両立可能性】
■1980年代、北イタリアから始まったスローフード運動、カナダから始まり大英帝国圏に拡がったメディアリテラシー運動、全米に拡がったアンチ巨大スーパー運動など、先進各国で同時多発的に、共同体と市場、共同体と国家の、両立可能性を問う運動が展開した。
■同じ1980年代、皮肉にも日本では、何かというと国家権力の呼出線を使う傾向に代表される、共同体を国家に譲り渡す「法化社会」が展開し、あるいは、米国の要求を背景にした大店法規制緩和に代表される、共同体を市場に譲り渡す「市場化社会」が展開した。
■共同体と市場、共同体と国家の、両立可能性を問う運動とは「雨漏り・バケツ」問題の比喩で語れる。村中の家が雨漏りしまくっていれば、バケツの需要が高まり、バケツを提供する市場や国家がほめられる。そのようにほめるのが日本の国民生活選好度調査である。
■歴代内閣毎に実施される幸福度調査も国民選好度調査の亜流に過ぎない。市場や国家がバケツを提供できていることに胸を張って現行政権を正当化するだけ。だがおかしくないか。緊急避難は別にして、本来なら雨漏りしないよう屋根を葺き直すべきではないか。。
■スローフード運動・メディアリテラシー運動・アンチ巨大マーケット運動などの共通項は、市場や国家が提供するバケツに依存して自らの手で屋根を葺き直す本義を忘れてしまうことに対する--市場や国家への共同体の過剰な依存性に対する--気づきと戒めにある。
■「手つかずの自然」が敢えて手をつけないという「不作為の作為」であること(に気づくこと)に象徴されるようち、選択の前提もまた選択されたものに過ぎないという「再帰性」(への気づき)が拡がる後期近代。不作為は、共同体を依存させ、空洞化させる。
■僕は、これを「〈システム〉の全域化による〈生活世界〉の空洞化」と呼ぶ。〈システム〉とは匿名性が支配する計算可能性の領域であり、これが拡がる動きを「近代化」と呼ぶ。当初は〈生活世界〉の「我々」が、便利だからと〈システム〉の利用を拡げる。
■流れに任せれば、やがて〈システム〉が全域化し、〈生活世界〉という表象も「我々」という表象も、〈システム〉の生産物に過ぎないという気づきが社会を覆う。この状態が後期近代で、それに抗して〈生活世界〉保全を企図するのが、先に述べた一連の運動だ。
■だがこの〈生活世界〉は「手つかずの自然」が敢えて手をつけない作為的選択の産物なのと同じく、まさに作為的選択の産物に過ぎぬ。だから生活世界とは記さず〈生活世界〉と記す。つまり一連の運動は、オルタナティブな〈システム〉を選ぶ営みに当たるのだ。
■同じく学問領域でも、ハーバマスの「生活世界の植民地化」、ベックの「予測不能・計測不能・収拾不能なリスクを伴う高度技術に共同体が隅々まで覆われたリスク社会」、ギデンズの「主体の像をシステムが供給する再帰的近代」等の概念が、人口に膾炙した。
【日本社会が負う巨大なハンディキャップ】
■ただし日本に限っては先進国の多くを襲った「共同体と、市場・国家の両立可能性」を問う運動は皆無で、それゆえに学問領域でも今紹介した諸概念の含意が人文・社会系の学者らに十分に理解されなかった。仮に彼らが理解していれば運動を唱導したはずである。
■ここに90年代後半以降の橋本行革や小泉構造改革に見られる決定的勘違いの種が蒔かれた。破綻を見越して財政規模を縮小すべく行革や構造改革を行う。一見良さげだが、市場や国家が提供するバケツに依存してきた人々は、屋根の葺き直し方法をとっくに忘れた。
■日本は他の先進国と違って〈生活世界〉を保全するオルタナティブな〈システム〉を目指す運動はなかった。「共同体の共和」によって成り立つ「社会の分厚さ」を保つ運動はなかった。何かというと参加が奨励されるのに、いつも個人の尻ばかりが叩かれてきた。
■典型的が小泉構造改革だった。小泉構造改革とは、従来の基幹産業例えば自動車産業を、新興国例えば中国のそれと戦えるように、身軽にすることを意味する。それで自動車産業が勝ち残れば企業の収益率は上がるが、それは労働分配率の切り下げを対価とする。
■これでは「経済回って社会回らず」のテイをなす。その証拠に平成不況が深刻化した98年決算期以降、年間自殺者数は2万4千人台から3万2千人前後に跳ね上がったままだ。「経済回って社会回らず」は、個人にとっては「金の切れ目が縁の切れ目」だからである。
■こういうことだ。日本はある時期から――法化社会が目立つようになった1980年前半から――社会に大穴があいた。だがうまく回る経済が社会の大穴を埋め合わせてきた。だからこそ平成不況深刻化で経済が回らなくなると、社会の大穴が露呈するようになった…。
■政治的には失敗が2点ある。第一に、本来必要なのは、どのみち中国のような新興国に追いつかれる産業から、遠い将来に渡って新興国が追いつけないか追いつく動機を持たない産業に、比較優位の分野をシフトする産業構造改革なのに、それができなかったこと。
■第二に、そうしたシフトを経てさえ新興国の発展ゆえに外貨獲得は容易でなくなるのはどの先進国でも同じで、だから「大きな政府」でなく「小さな政府と、大きな社会」でやるしかないのだが、「大きな社会」(相互扶助的に包摂する社会)の樹立に程遠いこと。
■第一点と第二点は結びつく。平成不況深刻化以降、地方はますます中央に依存、経済はますます大企業に依存、景気はますます外需に依存するようになった。外需依存的な中央の大企業にぶら下がるしかないので、既得権益を移動する産業構造改革ができないのだ。
■教育の問題はこうした「共同体の消失」「〈生活世界〉の空洞化」「経済回って社会回らず」をどう克服して、(1)相互扶助的に個人を包摂する、(2)自己決定的な共同体たちの、(3)共和から成り立つ社会を樹立できるのかということに関わる。社会設計の問題なのだ。
■教育の問題は、自分の子供の幸せの問題を遙かに超える。学校教育に限らず、周囲の親たちの教育談義、公園や祭りなどでの親たちの振る舞い、幼児向け通信教材、子育て雑誌や子育て本などが嫌でも目に入るが、「社会のための子育て」という視座が欠けている。
【教育を通じた社会設計、社会設計を通じた教育】
■あとがき冒頭でも述べたように成育環境が過去40年間で全く変わってしまったことが、「社会のための子育て」という観点から見て何を意味し、親や教員は、激変した成育環境について子供に対してどんな構えを持てばいいか。東氏とそれを問題にしたかった。
■40年前、僕が十歳だった頃の成育環境がどんなだったのかを、動物や虫というモチーフで思いつくままに語ろう。松尾大社の近くの小川で弟と手づかみでのザリガニ取りを競い、数時間で、僕が30匹だったのに、弟が40匹以上。負けて悔しかったことを思い出す。
■だがその直後、僕の弟はマムシに噛まれた。家の近くだったので、口で吸い出した後、すぐ母を呼んで歩いて町医者へ。毎年クラスで一人は噛まれていたし、僕らが遊んでいた小川では日常茶飯だった。でも小川に入っちゃいけないという大人は一人もいなかった。
■嵐山では、家が山麓にあったので、押し入れの中にシマヘビがとぐろを巻いていたことがあった。近所にはよくある話で、父が「蛇は山の神様だから縁起がいいぞ」といいながら、棒で手際よく頭を押さえて、手づかみにして、家の外に放り出した。父を尊敬した。
■松尾大社の池で、アオダイショウが、逃げるカエルを猛スピードで追いかけて、食らいつく姿を何度か目撃した。蛇の動作が目にもとまらないほど素早いのに度肝を抜かれた。頭を地上30センチほどに保ちつつ、高速で水平移動する。怪獣映画よりもすごかった。
■山科では、僕が世話になっていたヤクザの子が、虫かごにマムシを入れて教室に持ち込んだことがある。みんなでバッタをとってきて、箸でつまんで虫かごに入れ、丸呑みするのを見物した。女の子たちも遠巻きして見ていた。エキサイティングだった。恐かった。
■だからこそ、ヤクザの子=ガキ大将が、お前らにはできねえだろうという感じで、意気揚々とマムシ入りの虫かごを教室に持ち込んだ。先生を呼びに行く子はいなかった。学級委員だった僕は、「じきにセンコーがくるで、窓の外に虫かごを出さんかい」と促した。
■このヤクザの子たちは僕の言うことをきいた。みそっかすの弟を含めて彼らは転校生の僕と遊んでくれたので、母が彼らをよく晩餐に招いて高価なオモチャで遊ばせた。かわりに担任の覚え目出度い僕は、ことあるごとに彼らをうまく弁護した。そんな関係だった。
■美しい体験もあった。松尾大社の還幸祭ではゲンジボタルが大量に飛び交った。夜灯に照らされた屋台で串焼きや林檎飴の買い食いしながら、ふと見上げると、銀河のど真ん中に放り出されたかのように無数の光が乱舞していた。家の中までホタルが入ってきた。
■学校の帰り道に林で見つけたサナギを持ち帰り、糊で茶箪笥に貼り付けておいた。羽化するまでは何の蝶なのか分からなかった。ある朝目覚めたら、黒光りする大きなカラスアゲハが、優雅に部屋の中を舞っていた。両親を大声で呼んで、皆でしばし見とれた。
■父親の大きな声で未明にめざめると庭木に羽化の最中のセミがいた。緑がかった白色の体を幼虫の殻から半分だけ出した状態で、そこから一時間以上かかって体の全体が出てきた。やがて夜が明けて日がさし、だんだんと焦げ茶に変わっていく。それは油蝉だった。
■山科の疎水北側にある自殺名所だった安祥寺池に、鉄条網でロックアウトされているにもかかわらず侵入し、びんどうという仕掛けを使ってメダカやフナなど無数の魚をとった。暗くなるまで魚とりをし、「自殺した女の幽霊が出よるでー」と脅し合ったものだ。
■僕に若干のタフネスがあるとすれば、こうしたノイズに満ちた成育環境抜きには考えられない。動物や虫だけではない。小学校や地域でも、農家の子、地元商店の子、医者の子、地主の子、名物蕎麦屋の子、ヤクザの子、社宅の子が、混ざり合って遊んでいた。
■アンダーグラウンドを含めて誰とでも知り合いになれる僕の性格は、家庭環境も家族文化も全く異なる雑多な子供たちと一緒に遊んだ成育環境抜きには、あり得ない。そして、僕のそうした性格抜きに、全国規模でのテレクラフィールドワークなどあり得なかった。
■こうした生活環境や学校環境を背景にした人格形成の問題を横において、受験への取り組みを中心とした教育方針ばかり注目したり、「いい学校・いい会社・いい人生」を信じていたりする大人は、問題があるというよりも、僕には単なる馬鹿であるように見える。
■こういう馬鹿な大人たちによって教育がなされた場合、(1)相互扶助的に個人を包摂する、(2)自己決定的な共同体たちの、(3)共和から成り立つ社会は、樹立できるのか。つまりそうした社会を構成する人材を生み出せるのか。残念だが絶望的だという他ないだろう。
■僕は、こうした「(子供たちへの)教育を通じた社会設計」に必要な大人たちの人材を生み出すべく、「社会設計を通じた(大人たちへの)教育」を使って親業教育をなすべきだと考えている。成育環境を立て直さずに、教員や親が頑張っても、多くは徒労である。
【かなり頑張ったが、道半ばというところ】
■本文でも中心的に触れられるが、(1)相互扶助的に個人を包摂する、(2)自己決定的な共同体たちの、(3)共和から成り立つ社会にとって、グループワーク能力の養成が必須なのに、日本は時代遅れの能力別編成に堕した結果、国際学力比較調査で低順位化しつつある。
■こうした時代錯誤もまた、法化社会と同じく、80年代後半から社会を広く覆った。その結果、高偏差値大学には、どんなに成績が良くても企業が絶対に採用しないような、グループワーク能力に欠けた学生が溢れるようになった。彼らは今後どうするのだろう。
■僕が、今の日本は根本的にダメだと思った一つの契機は、新自由主義に対する理解の誤りだった。新自由主義は、剥き出しの個人が市場で競争することを奨励していない。単なる家族親族ユニットの大きさを背景にした、共同体と市場の境界設定の問題に過ぎない。
■アングロサクソンは伝統的に直系家族的で家族親族ユニットが小さい。ゲルマンやとりわけラテンは拡大家族的で家族親族ユニットが大きい。両者を比べると、ラテンが家族親族ユニット内の相互扶助で調達するものを、アングロサクソンは市場で調達している。
■だから、アングロサクソンは市場原理主義であるように見えやすい。だが、単に家族親族ユニットが小さいだけだ。市場のプレイヤーは、剥き出しの個人としてでなく、あくまで家族親族ユニットを背負った存在として現れる。あるいは家族という帰還場所を持つ。
■だからこそ、わざとらしいとも思えるほどの、家族共同体への関わりがある。ところが日本人は、このアングロサクソンの営みを、個人が剥き出しで競争する市場原理主義であるかの如く勘違いした。アングロサクソンでさえそのような文化とはかけ離れている。
■個人の自己決定か、国家による福祉か、という問題設定は、80年代以降は日本以外には存在しない。新自由主義も、スローフード運動やメディアリテラシー運動も、自己決定的な共同体を、競争的市場や、国家による福祉と、どう両立させるかという問題設定だ。
■見掛けがどうあろうと、結局は自己決定的な共同体(の共和によって成り立つ社会)のサイズや紐帯原理が、社会ごとに異なるだけだ。先に「共同体と市場の境界設定の問題に過ぎない」と述べた所以だ。何度も言うが、剥き出しの個人という概念には意味がない。
■だが、先に「生活世界でなく〈生活世界〉」と記したように、これは伝統に従えとか、長いものに巻かれろという話では全くない。汎〈システム〉化した後期近代の社会では、〈生活世界〉も、〈システム〉の構成要素として言挙げされ、選ばれたものに過ぎない。
■従って、共同体や〈生活世界〉に対して、多かれ少なかれ共同体的な事実性に埋め込まれた部分を持つ諸個人が、完全に自由な関わりが論理的に無理であるにせよ、いかにしてそれなりに再帰的(自覚的)に関わるかが、永久に問題として問われ続けるのである。
■僕は、共同体や〈生活世界〉の再帰的構築というこの問題について、東浩紀氏ほど自覚的な存在はいないと思う。「僕と同じように」、子供を持って子供が将来幸せに暮らせる社会を構想するというところから、そうした自覚を先鋭化したのではないかと思う。
■ゼロ年代にオタクを擁護した東氏と、90年代に援交少女を擁護した宮台が、2010年代に「父として」語るということは、かつて自分たちが擁護した社会「のままで」子供が幸せな大人になれるのかという問いに向き合うことだ。僕らはかなり頑張ったが、道半ばだ。