「視聴」をテレビから切り離そう(ITmedia 記事)
引用:
いつでも一定の傾向を持つ番組が見られるというのは、便利なものだ。だがその弊害もある。それは、テレビが生活の区切りにならなくなった、ということである。筆者が子供の頃は、子供番組が放送されるのは夕方5時から8時までと決まっていた。
(略)
だが今、人の親になってみると、これは案外悪くなかったのではないかと思う。
(略)
言うなれば、昔はテレビの番組編成で、生活のフェーズが切り替わっていたことになる。
なるほどねぇ。確かにその通りでした
。
引用:
何か見たい番組があってテレビを見る、たとえば連続ドラマを見るとか見たかった映画を見るといった行為は、コンテンツがその中心にあり、能動的だと言える。一方何もすることがないからテレビを点けてザッピングして、寝るまでの時間を無為にやり過ごすといった使い方は、受動的だと言える。では無目的にバラエティ番組を見たあと、寝る前にその内容を反芻できるだろうか。おそらくは断片的なイメージのみで、具体的なストーリーは何一つ出てこないのではないだろうか。
これは、バラエティ番組というコンテンツの特徴でもある。これは番組を作る方法論自体が、基本的に誰かの無知を笑うというスタンスで構成されているからである。つまり、ベースとなる知識自体は、多くの場合われわれはすでに持っている。バラエティとはそれを知らないとどうなるかという非常識を見せているだけであり、視聴者自身にとって得る物は少ない。
これは個々にはまぁ、当てはまらない番組も有るカモですけど、一般論としてはその通りかも。
引用:
さてここまでの論旨で、筆者がバラエティ番組を見るのは無駄である、と書くつもりだろうと思ったのなら、それはちょっと違う。筆者が提案するのは、テレビの見方はもっと変わるべきだと言いたいのである。
と、ここからが本題のよう
。で、ここで提案されてるのは「ポータブルビデオプレーヤー」で、移動時間にバラエティーを楽しめばよい、ということでした。
まぁ、ワタシ自身は「ポータブルビデオプレーヤー」方面はそれほど興味持てない(いざとなれば、VAIO U が替わり(笑))けど、「『視聴』をテレビから切り離す」という主張自体は、非常に頷けます。
これはマル檄でも何度か言われてますが、もう「東京キー局が作り、『テレビ塔』から配信し、受像機の前で座って見る」、いかにも「ピラミッド型」だけでは、保たないんぢゃぁないかと。
堀江氏が言ってることも、基本的にこういうことのようで、「地上波デジタルは、今からでも遅くないから止めるべき。撤退する勇気を持つべきだ」とまで言ってました
。
