日々の偏ったニュースに思うこと

「境界」の包囲網

『蜂起』森巣博著 幻冬舎文庫 ISBN-13: 978-4344409736


 森巣博の小説は面白い。何しろ、本人曰く「オーストラリアを拠点とする常打ち賭人」が、半ば自伝(のように見える)作品を書いている。これが面白くないはずはない。
 森巣博の著作は数が多いが、中でも『無境界の人』『越境者たち』、とカシノに集まる人々を中心に進む話は圧巻ではないだろうか。
 実際に読んでみると分かるが、カシノやゲームの駆け引き、といった要素の面白さや魅力は大きい。
 だが、読み込んでみると、それらは「ゲーム」、言い換えれば「ネタ」、あるいは「撒き餌」であり、著者が小説を通じて真に伝えたいこと、こだわることは「ゲーム板」、つまりゲームの背景なのではないか、と考えてみることがある。

 その際のキーワードが「境界」ではなかろうか。

 本書『蜂起』では、これまでの氏の作風と違い、カシノや賭け事は殆ど登場しない。
 かわりに、「境界」を超え得ない人々が内にこもった圧力からつき起こされる「蜂起」、つまり「連帯を求めるのだけれど、孤立を恐れない。一人ひとりが、別個に起つ。そして、ともに撃つ」という、ある種の「境界崩し」の試みに、真正面から勝負を挑むかのような作品となっている。
 第一部では、「懲戒免職となった元警視」、「上司からセクハラを受けた上に、仕事を失っうOL」、「塾生もいない右翼系政治結社を主宰する年配の男」、「自傷癖のある少女」を軸に、「日本」というシステムが機能不全に陥ったゆえに、「善良な民」を演じることがもはや不可能である、ということを丁寧に描写していく。
 それは、現在の日本の状況とある程度重なることが多い。故に、このまま「日本」というシステム批判のまま進むかと思われるのだが、第二部に入ってから、がらりと様相が変わる。
第一部で「転落」した主要登場人物達は、「超え得ぬ境界」に取り囲まれ、徐々に「圧力」を高め、「非・日常」が「日常」と化していく。

たとえば、「塾生もいない右翼系政治結社を主宰する年配の男」、護國忠臣は、第一部で「シノギ」や借金、さらには「妻による放火」で家屋まで失い、ホームレスに転落する。そして彼が選んだ「住処」は、誰が言い出したか「どうせホームレスをやるなら、都心の一等地」、つまり護國忠臣が敬愛する天皇陛下のお膝元、皇居外苑に集うホームレスたちの群れの中だった。

 そして、「非・日常が日常化」する中、ついに高まりきった「圧力」は当然のごとく暴発を迎える。

 きっかけは、警察が決めた「四万人を超す、皇居周辺のホームレス達の『処分』」の実行日。
 主要登場人物達は、そもそも面識もないので「連帯」を意識したわけではなかった。が、奇しくも「ホームレス処分」の日に、それぞれのやり方で「蜂起」する。

 護國忠臣は死傷者を辞さずに押し寄せる警官達に追われ、混乱するホームレス達の群れからの逃走を図る。
 元警視は大学時代の友人と共に「テロ」を計画する。
「リストカット」少女は、「自傷は終わり。今度は他傷。」と言い残して消え去る。

 森巣博の著作としては珍しく「フィクション」色が強い作品だが、中々面白い作品だった。


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