ご無沙汰してまっす
。取り敢えず生きてます
。
特に世を儚んだわけでも、総選挙の結果に絶望したわけでもありませんが(笑)、特に Blog に書くほどのネタが無かったとゆーか、思いつかなかったとゆーか(^_^;)。
で、今日は久々にネタが出来ました
。
前々か見たいと思ってた映画『MY FATHER』がやっと大阪に来たので、行ってきました。
この映画、大半を占める主人公と父(ヨゼフ・メンゲレ:アウシュビッツ収容所で「悪魔の医師」と恐れられた人物)の対面場面の回想シーンは、(貶してるわけではなく、肯定的な意味で)「準備編」で、主題は最後の10分ほど、弁護士が主人公を「父親を庇護ったのでないなら、なぜ八年も黙ってた」と責めるところ以降なんじゃないか、と感じました。
帰ってきてから、以前読んだハズだけとすっかり内容を忘れてた(笑)、宮台先生の Blog 記事を読み返してみると(最初の段落のスワッピング話はともかくとして(笑))、先生も同じ所を「主題」だとして、
■(前略)息子だから名乗り出た。観客は問われる。深き絶望「にもかかわらず」息子が八年後も父子関係を解消しないのはなぜかと。
■「死の天使」ぶりを確認した「にもかかわらず」父子関係を続ける(続けざるを得ない?)息子。監督は「子孫が罪を負う理由を考えるための寓話だ」と語る。子孫が罪を負う理由?何も知らない子孫が罪を負うのか?私はヴァイツゼッカー大統領の演説を思い出す。
と書いてるのを読んで、「最後の10分」に感じたモヤモヤ感が明確になったものの、より強く迫ってくるような気がしました。
平井さんの『人狼地獄編』のメンゲレ観とはかけ離れた(笑)、「見てくれはくたびれたオッサン。だけど、靴だけはしっかり磨き上げられていて、中身は『元・死の天使』」なメンゲレ。そして「知的で健康そうに見えるけど、どこか、そこはかとなく『無力感』漂う」主人公。
ワタシ自身は、主人公の「選択」が理解できない、あるいは、あまりに「無気力で無責任」に見える部分もあるのだけども、「にもかかわらず」(続けざるを得ない)というのは、何となく分かる気もしました。「何故か」と問われても、答えられないんだけど。。。

古い話ですが、大学時代に家永三郎の「戦争責任」と高橋彦博「民衆の側の戦争責任」を読んだときに、戦争責任を当事者から子孫に継承されるべきかどうかという議論で前者が肯定的に論じていたのに後者が疑問を呈していたのが印象に残っていました。
思うに、子や孫に直接的責任があるわきゃーない。ただし「未来」に向けては当然の事ながら責任は生ずる。
未来に向けて、過去の罪悪を肯定するような行動や言動をしたりすれば、当然その「自分の行動」について責任はとられるでしょうね。
あくまでスジ論ですけど。感情的にははるかに苦しいと思いますけどね……。
>あめんほてっぷさん
ご無沙汰しております。映画の中の主人公とメンゲレの関係で印象に残ってるのは、ジャングルの中でメンゲレを撲殺しようとしてどうしても出来なかったシーンと共に、主人公が半裸で眠ってるメンゲレの枕下から拳銃を取り出し、メンゲレに向けたシーン。
メンゲレはガバッと起きあがると、主人公を黙って見つめて、主人公が耐えきれずに銃口をおろすと、拳銃を取り上げるでもなく、何事もなかったように眠りに戻ッてしまいました。
ああいう人物が父親で、中身が「元・死の天使」。。。主人公の心情は想像も付かないです。
一方、口論の末、主人公がメンゲレの家を飛び出す時、メンゲレは突然立ち上がって「靴磨き」を始めるのですが、見ているときは良く分からなかったものの、そういう普通でない「靴への強迫的執着」というのは、極めて「ナチス」的、なのかもしれない、と後から思いました。
「罪と責任」について、少し補足しますと、「民事」と「刑事」の違いも参考になるかもしれませんね。
「刑事」で問われるのは「罪」。
「過去の行為選択」に言及し、問われる主体はあくまで「行為選択に関わった個人」。平井さんの改竄事件で言えば(笑)、編集者個人等々。
一方、「民事」で問われるのは「責任」。
「未来を含む、関係性」に言及し、問われる主体は「関係性を作り出す自己」。再び平井さんの改竄事件で言えば(笑)、”法人”の意思決定責任者。