最近、堅い話が続いたので、チョッと息抜き的かつ「書評」ではない話題をば。
ここのところ、『海の男ホーンブロワー・シリーズ』(このネーミング、チョッと古いというか、照れるというか
)と呼ばれる作品の中で、著者のC・S・フォレスターが最初に手がけた「初期三部作」にあたる、『パナマの死闘』、『燃える戦列艦』、そして『勇者の帰還』を睡眠読書時に少しずつ読み進めてます。
今でもそうなのかは分からないのですけど、訳者あとがきによると「ホーンブロワー」は英国では「鞍馬天狗」にあたる程の大人気者、だそうなのです。
この三部作にかぎらず、シリーズを通じての舞台はナポレオン戦争の時代。蒸気機関はシリーズの最後の方でやっと広まり始めた頃で、シリーズを通じてホーンブロワーが乗り込むのは士官候補生から提督まで、すべて帆船。戦列艦クラスになると、一艦につき千人規模の人員が必要なのですが、この「艦を動かす」描写がすばらしく良いのです。
准尉以上の士官をのんべんだらりと並べるだけ、ではなくて。上は副長から下は「パウダー・モンキー」(戦闘態勢時、砲の装薬を下層から甲板へ運び上げる係。主に少年水兵が担当)や「測深手」(海岸部等で、重り付きのロープを投げ入れ、水深を測る係)まで、キチンと「必要とされる時に必要に応じて」登場し、必要なことをこなす。そのなかで登場人物の「人柄」と、艦を動かす上での「操作」とがカッチリとかみ合っていて、とっても「艦が動いてる」感が伝わってきます。
そして、例えば、「自分は決して“戦士”には成れない」等、色々コンプレックスを抱えながらも表面上は「剛直で信頼できる艦長」を演じようとしたりといった、主人公、ホーンブロワーのキャラクター造形も勿論、魅力的です。
妙に自己評価が低い所があるので、「“戦士”には成れない」がコンプレックスになってるのですが、いざ戦闘となると、どうしてどうして、「微積分を暗算でパッと解ける」頭をフル回転させて、如何に効率よく敵艦を斃すか考えだすし、成功率が低いと思われる作戦で自ら指揮を執り、敵兵を「斬る」事もします(作戦が終わってから思い返して、また「コンプレックス」増やしたりも(爆))。
で、なんで読み返してみたくなったかと言うと……また新しく「ガンダム」が始まるッてのを小耳にはさんだので :hammer: 。いや、この前の『ガンダム SEED』、飛び飛びに見ただけなんですけど、全然「艦が動いてる」感じがしなかったんですよねぇ。『ヤマト』はまぁ、物理的な辻褄はともかく(笑)、取り敢えず「動いてる感」はあったし、ホワイトベースは知らない(ファーストシリーズ、見たこと無いんですよね)ですけど、アーガマはそこそこ「動いてる感」あったんですけど。さてはて。今度はどうなんでしょうねぇ。

ヒースロー空港の本屋では、「世界一有名な海洋小説家:ダグラス・リーマン&アレクサンダー・ケント」というフェアがありました。ホーンブロアは挑戦してないですが、冒険小説が読みたくなったら読んでみようと思います。
ここ数年、まともに娯楽小説を読んでないです・・・
ちなみにガンダムシリーズでは基本的に「動いている」感じは無いですね。
三文小説ですが、「サイレント・シー」(WW2のアメリカ潜水艦モノ)の戦闘シーンだけは結構よかったです。
そーいえば、昔はよく見た司令室と機関室のやり取りなんて
今はあんまり見ないかも。
こっちはこっちで、言われないと気づきませんが(^^;ゞ
>現存さま
シリーズ通じて大体見通したのは『Zガンダム』くらいでしたが、確かに「動いている感」は当時の他作品と比べて「相対的に」まだ感じられる、といったところでしょうか。「戦闘で傷ついた艦を修理しながらだましだまし動かす」みたいなシーンがあったりして。
あと、潜水艦ものといえば、少しベタになるかもですが
、映画の『Uボート』が印象に割と強く残ってます。
>なくさま
司令室と機関室のやりとり、『ヤマト』なんかでは頻繁にあったような記憶がありますね。
後、ガンダムシリーズにしろ、『ヤマト』にしろ、登場人物が食事するシーンはよくあっても、艦長が水や食料の補給を心配をする、といった場面があまり無いのが、よく考えてみれば、かなりヘンに感じます。完全リサイクル制なんでしょうか(笑)。
後、先にもかいたように、戦闘でかならず出来るであろう「破損箇所」のメンテナンス、ある程度自動化できそうではあるのですが、それでも専門の技官が居て然るべきな気もしますね。